エラベノベル堂

天動説老人の珍道中

全年齢

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4章 / 全10

休憩のために立ち寄った峠の茶屋は、山道の途中にある小さな木造家屋だった。軒先には風で乾いた布が揺れ、湯気の立つ釜の匂いが、冷えた指先にやさしくしみた。六人は荷車を脇に寄せ、ようやく腰を下ろす。すると、先ほどまで道標を見間違えていた疲れが、どっと背中にのしかかった。 「昔は、ここから西の空がよく見えた」 三輪が湯のみを包みながら言った。その一言に、吉蔵がぴくりと眉を動かす。 「西だと? いや、あの頃は東の星が早かったはずだ」 「お前はいつも見たい方向を先に決める」 「それはそっちだ。わしは事実を覚えている」 「なら、わたしの記憶のほうが正しい」 言い争いはすぐ火がついた。千代が、かつて港町で見た赤い星の話を持ち出せば、石田は 「いや、あれは火事の煙だ」 と鼻で笑う。さらに別の者が、湖のほとりで見た不思議な光の筋を語ると、今度は誰が一番古い星を見たかで、まるで子どものように声が重なった。 「わしは若いころ、尾を引く星を見た」 「そんなもの、記録にない」 「記録にないからこそ覚えているんだ」 「覚え違いではないのか」 「お前こそ、半世紀前の話を昨日のことのように言うな」 三輪は黙って聞いていたが、やがて自分の湯のみを置いた。 「では、ひとつずつ並べよう。わしは東の丘で最初の観測をした。吉蔵は港で赤い光を見た。千代は湖で筋を見た。石田はその夜の村で空が妙に明るかったと言う。皆、違うものを見ているようでいて、空の話をしていることに変わりはない」 その言葉に、茶屋の中が静かになった。互いの記憶を競い合っていたはずなのに、どれも嘘ではない気がした。むしろ、ひとつだけでは足りないのだと、誰かが先に気づいてしまったようだった。 「なら、わしの星はその続きか」 吉蔵がぽつりとつぶやく。 「そうだろうな」 千代が頷く。 「あんたの見た星があったから、わたしは次を探した」 石田が腕を組み、少し照れたように目を逸らした。 「つまり、わしらは順番に空を拾ってきたわけか」 三輪は笑った。皺の奥まで柔らかくなる、珍しい笑い方だった。 「そうだ。記憶をつなげば、一人では届かなかった物語になる」 茶屋を出るころには、山の向こうに夕方の青が広がっていた。六人はそれぞれ、さっきまでの口げんかを少し恥ずかしそうに思い返していたが、荷車の前で並ぶと、誰からともなく歩調が揃った。ひとつの星を争っていた老人たちは、いまでは幾つもの星を抱えて進んでいる。道の先に何が待つのかは、まだ誰にも分からない。けれど、たしかに一つだけ分かったことがある。彼らの旅は、空の果てより先に、互いの記憶を結び直すためのものでもあった。

4章 / 全10

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