照明が落ちたのは、誰かの悲鳴より先だった。広間の天井を飾っていた光がひとつ、またひとつと消え、残った薄明かりも船の揺れに合わせて壁へ滑っていく。楽譜の白だけが浮かび、次の拍がどこにあるのかさえ見失いそうになった。 レオンは指揮棒を止めず、わずかに二度、空を叩いた。長く、短く。いつもの合図ではない。だが団員たちはその意図をすぐに汲んだ。弦が音を細め、管が息を引き、残響の隙間に客席のざわめきが忍び込む。その一瞬で、演奏はただの音楽から、道しるべへと姿を変えた。 「明かりがない。右手の通路へ」 ソフィアが声を上げる。つい先ほどまで旋律を紡いでいた口から、今は迷いのない言葉が出る。ミナも続いた。 「前は塞がっています。壁沿いに進んでください」 その声に乗客が振り向き、見えない不安の中から一筋の進路を見つけていく。演奏を続ける者、通路に出る者、肩を貸す者。誰が舞台の人間で、誰が案内役なのか、もう境目は曖昧だった。 打楽器の青年は譜面台を退け、倒れそうな老人の手を取った。エドガーは自分のケースを脇に抱え、片手で車椅子の背を押す。彼は普段、誰よりも寡黙だったが、今は低く短い声で人を導いている。曲の拍を知る者は、歩く速さも計れるのだと、誰かが気づく。床の傾きに合わせて一歩ごとに重心を移す、その小さな工夫が、列を崩さず進ませていた。 レオンは広間の奥で残る数名に視線を送り、演奏と誘導を交互に切り替えた。三小節だけ弾く、次は案内へ回る。息を合わせるたび、互いの顔が近づき、恐怖の輪郭が少しずつ崩れていく。役目を変えるたびに不安は増すはずだった。だが実際には、誰かが空いた場所をすぐ埋めるので、孤立する暇がなかった。 そのとき、通路の向こうから子どもの泣き声が聞こえた。ミナが振り向き、迷わず膝をつく。泣きじゃくる小さな手を包み、彼女は楽器を持つ指先で、静かな子守歌の最初の音だけを口ずさんだ。すると子どもはしゃくり上げながらも、音の方へ顔を向けた。完全な演奏ではない。けれど、その断片が、暗闇にあるはずの形をそっと教えてくれる。 団員たちは見合った。誰も言葉を発していないのに、同じ理解がそこにあった。音楽は舞台の上だけで完結しない。今この船で必要なのは、鳴らすことと支えることを、ためらわず行き来する勇気だ。 レオンは短くうなずき、再び合図を送る。音が始まり、人が動く。その繰り返しの中で、楽団はひとつの生き物のように呼吸し始めた。船はなお傾いていたが、彼らの足取りだけは、さっきよりも確かだった。
沈みゆく船と楽団
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