蓮はリハーサルが途切れた隙を逃さず、舞台袖の搬入口へ回った。台車の車輪跡は細く、床の埃を浅く削っている。搬入経路をたどると、楽器庫までの角で一度だけ不自然に曲がっていた。大きな楽器を運ぶには狭すぎる角度だ。しかも管理表には、そこを通った記録がない。蓮は指で紙の端をなぞり、筆圧の違いまで見比べた。誰かが慌てて記入した空白が、かすかに浮かぶ。 倉庫では、古いケースが壁際に積まれ、香りの薄い樹脂と木の匂いが混ざっていた。蓮が扉の内側を確かめると、ラッチの金具に新しい擦れがある。昨日まで閉め切られていたはずの棚が、ほんの少しだけ開けられていたのだろう。そこにあったはずの小型の補助楽器の札が、一枚だけ外されている。札の番号は、今日の演奏順と一致していない。なのに、管理表の記載では別の場所に戻されたことになっていた。 「そんな細かいところまで見るんだな」 声の主は、弦楽部の首席奏者だった。腕を組んだまま、笑っているのか疑っているのか分からない目をしている。蓮は作業を止めずに答えた。 「音は、細部から崩れますから」 それを聞いた男は、わずかに口元をゆるめた。だが次の瞬間には視線を逸らし、低く言った。 「崩れるのは音だけじゃない。立場も、順番もだ」 その一言は、蓮の胸に薄く刺さった。別の控室では、若い演奏家が譜面を抱えたまま足を止め、年長の奏者に何かを詰め寄られていた。誇り高い沈黙、焦りを隠した早口、舞台を守りたいのか自分を守りたいのか分からない声。そこには、誰もが同じ方向を見ていない空気があった。 蓮は倉庫から出ると、搬入口の外まで視線を伸ばした。雨上がりの石畳に、細い濡れ跡が一本だけ続いている。誰かが何かを隠そうとした形跡は、いつも必要以上に整っていない。むしろ雑だ。だからこそ見える。彼は管理表を胸にしまい、閉ざされた扉の向こうで交わされた言葉を思い返した。怒りの下にある焦り、強がりの下にある不安。音楽家たちは皆、それぞれ別の理由で沈黙している。 蓮はその沈黙の隙間へ、もう一歩だけ踏み込む決意を固めた。
ホールに響く真実
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