エラベノベル堂

ホールに響く真実

全年齢

小説ID: cmninstwt003m01mzry1k87h9

4章 / 全10

翌日の午後、蓮が調律室で張力の再確認をしていると、扉の隙間から控えめなノックがした。顔を上げた瞬間、胸の奥に古い記憶がよみがえる。細い指先、癖のある笑い方、何よりも鍵盤に触れる前の静かな息。入ってきたのは、幼なじみの奏だった。かつて同じコンクールを目指し、互いに譜面の端を赤く塗りつぶしながら夜を越えた相手だった。 「まだ、こんなところにいたんだね」 奏は昔と変わらない柔らかな声で言ったが、目の奥には舞台の灯りに似た鋭さがあった。今は客演ピアニストとして来ているらしい。蓮が驚きを隠せずにいると、奏は本題を切り出した。最近、音が揺れる瞬間に立ち会ったという。誰かが弾き損ねたのではない。響きそのものが、あらかじめずらされていたように感じたのだと。 二人は舞台裏の記録室へ向かい、管理表と運搬記録を照らし合わせた。すると、ある夜の搬入だけ、誰の署名でもない確認欄が薄く埋まっていた。しかもその時間帯は、ホールの伝統行事が重なる日だった。毎年、演奏会の成功を祈るために、古い木箱へ小さな札を納める習わしがある。表向きは無事を願う儀式だが、実際には関係者の立ち入りが曖昧になり、奥の倉庫や鍵の管理も緩む。 「昔から続いているって、誰も疑わないんだよ」 奏がぽつりと漏らした。 「続いているものほど、壊し方も上手くなる」 蓮は古い行事の流れを思い返した。札を納める順番、箱を運ぶ係、灯りを落とす合図。すべてが整いすぎている。整いすぎているからこそ、ひとつだけ混ぜ込まれた異物が見えにくい。音のブレは偶然ではない。誰かが儀式の隙を使って、楽器に触れる時間を作っていたのかもしれない。 奏は蓮の横顔を見つめ、静かに言った。 「一緒に確かめよう。昔みたいに」 蓮はうなずいた。だがそのとき、記録室の奥で紙が一枚、風もないのにぱさりとめくれた。そこに書かれていた行事の名は、蓮が一度も耳にしたことのないものだった。

4章 / 全10

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