公開リハーサル当日、蓮は舞台中央でピアノの蓋を開き、照明の熱を額に受けながら鍵盤に指を置いた。客席は半分ほど埋まり、関係者の視線が背中に刺さる。最初の和音は澄んでいたが、すぐに低音の響きがわずかに沈んだ。蓮は耳を澄まし、たった一度だけペダルを踏み直した。だがその判断が早すぎたのか、舞台監督の鋭い声が飛んだ。 「今のは何だ。勝手に触るな」 空気が硬くなり、演奏が止まる。蓮は息をのみ、頭を下げた。自分の手が招いた揺れだと見なされれば、これまでの調査も信用を失う。 けれど蓮は逃げなかった。鍵盤の前に戻り、同じ小節を何度も弾き直した。音が少しでも濁れば、指先で確かめ、弦の張りを見直し、内部の反応を一つずつ拾い上げる。失敗を隠そうとすればするほど、楽器は無口になる。だが、向き合い続ければ、微かな癖は必ず姿を見せる。蓮の姿を見て、奏が客席側から小さくうなずいた。弦楽部の首席奏者も、腕を組んだまま目をそらさない。 やがて二度目の通しに入ると、蓮はある違和感に気づいた。音程ではない。鍵盤の戻りでもない。誰かが人の出入りに合わせて、楽器庫の空気を変えていたのだ。湿度を操作する小さな装置の存在に思い至った瞬間、蓮は背筋を冷たいものが走るのを感じた。故障ではなく、仕組まれた乱れだった。公演を揺らすための、目に見えない手。 終演後、舞台袖に戻った蓮の前へ、先ほど声を荒げた監督が来た。だが表情は先ほどと違い、妙に落ち着いている。監督は一枚の封筒を差し出し、 「これを見ろ」 とだけ言った。中に入っていたのは、古い伝統行事の記録と、改ざんされた搬入許可の写しだった。署名欄には、蓮が一度も疑わなかった人物の名があった。 信頼を取り戻したはずのその瞬間、蓮は背後で小さな拍手を聞いた。振り向くと、誰もいないはずの調律室の扉が、かすかに開いていた。
ホールに響く真実
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