エラベノベル堂

ホールに響く真実

全年齢

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8章 / 全10

蓮が改修計画の資料に目を通したのは、深夜の調律室だった。封筒の中には、古い設計図の複写、工事見積もり、そして数年前の収支報告が重ねられている。最初はただの耐震補強だと思われていた話が、実際には経費の水増しと、立ち退きを迫るための圧力に変わっていた。さらに、過去に消えた備品の記録が、今になって工事費の名目で埋め戻されている。音を支えるはずの場所が、誰かの都合で削られようとしていた。 奏が声を落として言った。 「これ、ただの修理じゃない。あのホールを、都合よく作り替えるつもりだよ」 蓮は資料の端を指で押さえた。改修されれば、音の響きは変わる。客席の形も、舞台の奥行きも、何より積み重ねてきた調律の基準も崩れる。音楽家たちが守ってきたものが、図面一枚で別物になるかもしれない。だからこそ、誰もが口を閉ざしていたのだ。成功した工事に見えれば利益が出る。失敗すれば責任を押しつけられる。関係者の沈黙は恐れだけではなく、利害で固められていた。 蓮はそこで初めて、疑いを向けられた理由の輪郭を理解した。調律の乱れを暴かれると困る者たちがいた。古い不正が掘り返されれば、改修計画そのものが止まる。だから彼は、便利な身代わりにされかけたのだ。だが、ここで引けば、音だけでなく、場所そのものが失われる。 翌朝、蓮は証拠をまとめた。改ざんされた搬入記録、湿度装置の部品、改修費の不自然な差額、そして古い帳簿の写し。ひとつでは弱い。だが重ねれば、偶然では済まない。彼はそれらを公正な場へ持ち込む決意を固めた。ホールの外で待つ記者ではなく、第三者の目が入る審査の場へ。 封筒を抱えて廊下に出ると、まだ客席灯の消えたホールが静かに息をしていた。ここは権威の象徴である前に、音が育つ家だ。蓮はその静けさを見上げ、もう二度と都合のいい沈黙に預けないと心に決める。 そのとき、背後から車椅子の小さな軋みがした。振り向くと、普段は姿を見せない創設者の老女が立っていた。彼女は蓮の封筒を一瞥し、かすかに笑った。 「やっと、音の代わりに帳面が鳴く番か」 蓮が言葉を失う間に、老女は杖先で床を軽く叩いた。 「好きにおし。壊すつもりで改修する連中より、傷ついてでも守る者のほうが、この場所には似合う」 それは許しでもなく、命令でもなかった。ただ、長く閉じられていた扉が、思いがけない鍵で開いた音だった。蓮は封筒を握り直し、静かにうなずいた。

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