エラベノベル堂

仮面夜会の招待状

全年齢

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2章 / 全10

扉をくぐった瞬間、アカネは自分の足音が少し遠くなったように感じた。広間には、白や黒や金の仮面がゆるやかに行き交い、笑い声さえも薄い布越しに聞こえるみたいだった。誰も名前を呼ばない。代わりに、視線の長さや頷き方、グラスを傾ける角度で互いを測っているらしい。まるで言葉の前に、空気そのものが挨拶を済ませてしまう場所だった。 「迷い込んだ顔だね」 背後からかけられた声に、アカネは肩を跳ねさせた。振り向くと、羽根飾りのついた黒い仮面の男が、少しだけ首を傾けて立っている。年齢も表情も読めないのに、声だけは妙にやわらかい。 「初めてです」 「なら、ここでは正解だ」 その返事が、妙に軽かった。アカネは拍子抜けしながらも、彼に案内されるまま壁際のテーブルへ向かった。そこには香りのよい紅茶と、小さな菓子が並んでいる。けれど一番気になったのは、卓上のカードに書かれた短い印だった。微笑むような弧、沈黙を促すような点、誘うように伸びる線。名前の代わりに、合図が会話の入口になっているらしい。 「これは?」 「気分だよ。今夜の自分を、言葉の前に決めるための」 男はそう言って、合図の一つを指でなぞった。アカネは答えを探してカードを見つめる。すると隣の席から、淡い香水の匂いとともに、仮面の女性が静かに身を寄せた。 「あなたは、まだ表情が硬いわ」 「そんなに見えますか」 「ええ。でも、嫌いじゃない。慣れていない人は、嘘が少ないから」 その言葉に、アカネは思わず笑ってしまった。会社では、少しでも空気を読まないと浮いてしまう。けれどここでは、ぎこちなささえひとつの個性として扱われる。正しさより、揺れ方が見られている気がした。 広間の奥では、誰かが低い声で歌うように挨拶を交わし、別の一角では、手元の扇だけで会話が進んでいた。アカネは戸惑いながらも、少しずつ輪の中へ足を入れていく。自分の名前を差し出さなくても、会話はできる。肩書きを捨てても、笑い合える。そんな自由が、胸の奥をくすぐった。 気づけば、彼女は知らない誰かの冗談に息を漏らし、また別の誰かに紅茶のおかわりを勧められていた。仮面の向こうの視線は見えないのに、不思議と視線の温度だけが残る。アカネはそのぬくもりに、少しだけ身を預けてしまっていた。

2章 / 全10

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