エラベノベル堂

仮面夜会の招待状

全年齢

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4章 / 全10

黒い仮面の男は、広間の端にいたはずなのに、いつの間にかアカネのすぐ近くへ来ていた。肩が触れそうな距離でも、彼は不思議と圧を感じさせない。ただ、仮面の奥から向けられる気配だけが、静かに熱を持っている。 「君は、ここに向いている」 耳元に落ちた声は、褒め言葉に聞こえるのに、どこか試すようでもあった。アカネは思わずグラスを握り直す。向いている、とは何にだろう。会話にか。夜会にか。それとも、もっと別の何かにだろうか。 「どういう意味ですか」 「そのままの意味さ。怖がらなくていい」 怖がるほどではない。そう言い返したかったのに、男はもう一歩だけ距離を詰め、仮面越しにまっすぐこちらを見た。視線が見えるはずもないのに、見透かされているようで落ち着かない。 それきり彼は何も言わず、細い紙片をアカネの手の中に滑り込ませた。折りたたまれたそれは、指先にすっぽり収まるほど小さい。次の瞬間、周囲の笑い声がひときわ遠く感じられた。 紙には、たった一行だけ記されていた。今夜の席は選ぶな、明日の扉で待て。 意味が分からないのに、胸の奥が妙にざわついた。問い返そうと顔を上げたときには、男の姿はもう別の仮面に紛れている。まるで最初からそこにいなかったみたいに、輪郭だけが夜のざわめきへ溶けていった。 その晩、アカネは帰宅してからも、何度もその紙片を見返した。丁寧な筆跡。なのに、書き手の癖までは読めない。スマートフォンを開いても、送信する言葉が決まらない。ただの誘いか、いたずらか、それとも気まぐれな親切か。どれを選んでもしっくりこない。 翌朝、通勤電車の揺れの中で、彼女の端末が震えた。知らない番号から短い文が届く。昨日の紙の続きのように、淡々としているのに逃げ道がない。 昨夜は早く帰ったようだね。紅茶は苦手だったか。 アカネは目を瞬かせた。会場で自分が口にしたのは、たった一度、紅茶の香りが少し強いと漏らしただけだったはずだ。誰が見ていたのか。どこまで見られていたのか。背筋に細い冷たいものが走る。 昼休みになる前に、また震える。今度は写真のない短文が、当然のように届く。 仮面のままなら、もう少し話せる。 アカネは返信欄に指を置いたまま動けなくなった。怖いはずなのに、閉じた扉の向こうを覗きたくなる。彼の言葉の端々には、待っている理由があるように聞こえる。けれど、それが親しみなのか、単なる興味なのか、あるいは別の企みなのか分からない。 仕事の画面を開いても、頭の片隅にはその文面が離れない。会議の音が遠くなるたび、昨夜の仮面と声が、妙に鮮やかに蘇った。アカネはため息をつく。厄介だ。たぶん、かなり厄介だ。 けれど、気になってしまった時点で、もう簡単には戻れない。彼女は静かに端末を伏せ、次の通知を待つ自分に気づいてしまった。

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