エラベノベル堂

仮面夜会の招待状

全年齢

小説ID: cmnk3vqlk000001l6lzhst3iq

5章 / 全10

会場に足を踏み入れて数時間もたたないうちに、アカネはこの夜会がただの飾り立てた社交ではないと悟った。笑顔の裏で、誰もが誰かを見ている。見ているようで、見られる側でもある。視線は挨拶であり、同時に査定でもあった。 ワイン色の仮面をつけた女性が、談笑の輪から外れたアカネにそっと近づく。香水の甘さがふわりと漂い、彼女はグラスの縁を指で軽く叩いた。 「あなた、初めてなのに落ち着いているのね」 「そう見えますか」 「ええ。でも、それは安心より警戒に近い。ここでは、そういう人のほうが長く残るわ」 アカネは曖昧に笑った。褒められているのか、試されているのか分からない。けれど女性は答えを待たず、今度は広間の奥にいる数人へ目配せした。すると、別の席で交わされていた会話が、まるで合図のように細くつながっていく。誰かが市場の話をすると、別の誰かが最近の移転先の噂を返す。仕事の愚痴が、いつの間にか人の出入りに関する情報へ変わっていた。 アカネは背筋を伸ばした。表向きは雑談だが、拾われているのは言葉の中身ではない。話し方、間の取り方、視線の逃がし方。そこにいる全員が、相手の本音を探るために、わざと少しだけ隙を見せている。親しさを演じ、慎重さを隠し、相手がどの段階で踏み込んでくるかを測る。その応酬が、この夜会の呼吸なのだ。 そのとき、あの黒い仮面の男が、離れた場所から一度だけ頷いた。呼ばれた気がして近づくと、彼は何も言わず、アカネの手元に小さな封筒を置く。中には名のないメモが一枚、几帳面な字で短く記されていた。今の話は、半分だけ本当だ。 「どういう意味ですか」 問いかけた瞬間、男は仮面の奥でわずかに笑ったように見えた。 「ここでは、それで十分だろう」 アカネは言葉を失う。誰かの本心に触れたと思った途端、それはすぐに別の顔をして返ってくる。まるで鏡の迷路に入ったみたいに、真実は一枚ではない。だからこそ、ここでは観察する者だけが、観察されていることに気づける者だけが、次の一歩を許される。 広間の音楽が静かに変わった。アカネはメモを握りしめたまま、初めて自分もこの試される空間の一部になったのだと知る。

5章 / 全10

TOPへ