エラベノベル堂

粘液の異世界迷宮

全年齢

小説ID: cmnk5kqfj000001pl9r34bk5r

2章 / 全10

僕は息を潜めたまま、樹の幹に背を預けた。半透明の塊は、光を薄く吸い込みながらゆっくりとこちらへ滲んでくる。輪郭はゆらぎ、表面には朝露のような揺れが走っていた。だが、ただ柔らかそうに見えるだけで油断できない。目を凝らすほどに、内側で何かが脈打っている気がして、背筋がざわついた。 足を動かそうとした瞬間、地面の落ち葉がわずかに沈んだ。音は小さい。それでも、そのわずかな気配に反応したのか、塊のひとつがぴたりと止まる。次の瞬間、ぬめった表面がふくらみ、細い糸のようなものが枝の影へ伸びた。触れた場所の葉が、色を失ったみたいにしんなりと垂れる。 何だ、それは。 触れれば終わる。なぜそう思ったのかはわからない。ただ、理屈ではなく本能が警鐘を鳴らしていた。僕は一歩、さらに一歩と後ずさる。すると背中が硬いものにぶつかった。振り返ると、倒木が斜めに横たわり、その下は人ひとりがやっと通れるほどの狭い隙間になっている。逃げ道は、ない。 喉の奥が熱くなる。森の道らしきものはすでに見えず、左右は背の高い草と根の張った土壁に挟まれていた。前へ行けば、あの奇妙な塊たち。後ろは倒木。気づけば、僕は狭いくぼ地に追い込まれていたのだ。 ぽちゃん、ぽちゃん。 音が近づく。半透明の体がゆるりと寄り集まり、いくつもが同じ方向を向いている。まるで獲物を囲うみたいだ。ひとつが落ち葉の上を滑ると、そこだけが黒ずんだ。別の個体がその跡をなぞると、今度は地面の湿り気まで変わったように見える。雨のしずくとは違う。あれは、触れたものの調子を狂わせる水だ。 ふと、視界の端が揺れた。さっきまで真っ直ぐ見えていた幹が、少しだけ遠のいたように感じる。耳鳴りがして、心臓の鼓動が妙に大きくなった。怖い。そう自覚した途端、汗が冷たく背を伝った。危険なのは、牙や爪だけじゃない。この世界では、正体のわからないものが息をするだけで、人を追い詰める。 僕は唇を噛み、震える指で地面の枝を拾った。役に立つかはわからない。それでも、立ち尽くしていれば確実に飲み込まれる。逃げ場のない場所で、僕は初めてこの世界の本当の顔を見た気がした。静かな森の奥で、何かが笑っているような気配だけが、確かにあった。

2章 / 全10

TOPへ