町の門をくぐったあとも、男は黙って歩き続けた。石畳の通りは思ったより狭く、両脇の店先には乾いた薬草や金具、古びた布が積まれている。だが賑わいは薄い。誰もが周囲を気にしながら足早に通り過ぎ、井戸端の会話さえ声を落としていた。スライムの噂は、すでに町の空気を変えているらしい。 男は資料館の扉を顎で示した。そこなら記録がある。異常発生が増えた時期も、少しは見えるはずだ。中へ入ると、乾いた紙と埃の匂いが鼻をくすぐる。棚は天井近くまで届き、巻物や帳簿がぎっしり詰まっていた。受付にいた年配の係員は、男の顔を見るなり無言で奥へ引っ込み、やがて分厚い記録箱を抱えて戻ってくる。 僕は机に広げられた古い報告書へ目を落とした。そこには、魔物の生態記録と被害報告が細かく並んでいる。読み進めるうちに、ある一文で指先が止まった。スライムの粘液は、接触した生物の魔力循環に干渉し、一時的に流れを乱す。肉体の疲労ではなく、内側の巡りをずらすため、めまい、倦怠、判断力の低下を招く。さらに個体差によっては、感覚の鈍化や幻惑に近い症状を引き起こす、とある。 僕は息を呑んだ。体が重く感じたのは気のせいじゃなかった。あの森で覚えたあの妙な揺れは、ただの恐怖ではなく、本当に内側をかき回されていたのだ。 ページをめくると、近年の記録が一気に増えていた。二年前から森の周辺で小規模な群れが確認され、去年には町道沿い、今年に入ってからは街外れの水路付近まで広がっている。しかも、発生地点が少しずつ線でつながるように並んでいるのが目に入った。偶然にしては、あまりにも整いすぎている。 男もそれに気づいたらしく、記録を指でなぞった。自然繁殖にしては多すぎる。誰かが増えやすい場所を作っているか、集まるよう仕向けているか。低い声に、資料館の静けさがかえって濃くなる。 係員は耳をそばだてていたが、何も言わない。僕は別の帳簿を開き、失われた区画の修繕費や井戸の清掃記録まで追った。すると、妙な一致が見えてきた。被害が出た場所の近くで、数週間前に見慣れない資材の搬入がある。薬品、粘液容器、保管箱。用途は曖昧にぼかされ、届け先は空欄に近い。 胸の奥が冷たくなる。魔物が勝手に増えただけではない。人の手が届いている。しかも、隠す気配まである。 外で鐘が鳴った。短く、切迫した音だ。窓の向こうで通りを走る影が揺れ、誰かが叫ぶ。町外れでスライムが出たらしい。男は本を閉じると、僕を見た。その目はもう、助けた旅人を見るものではない。 探すぞ。あれは、たぶん始まりじゃない
粘液の異世界迷宮
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