広間を満たしていたざわめきが、ふいに喉を絞めるように膨らんだ。刻印の光は整ったはずなのに、中央の装置だけが甲高い悲鳴を上げ、割れた水晶の奥で赤い脈動を始める。男が顔色を変えた。まずい、暴走する。 次の瞬間、遺跡全体が揺れた。石壁を走るひびが一斉に広がり、天井から砂と小石が降ってくる。頭上で鈍い音が重なり、崩落の予兆が骨にまで響いた。黒衣の男は退路を塞ぐように立ち、冷えた目でこちらを見下ろしている。 まだ止めきれないか。だが、崩れれば証拠も手も消える。 その言葉に、胸の奥が熱くなった。こいつは、ここを研究室のまま終わらせる気だったのだ。僕は叫び返す代わりに、仲間へ目を向けた。男は短くうなずき、崩れた柱へ駆ける。彼が黒衣の注意を引く間に、僕は装置の根元へ踏み込んだ。魔力の流れは乱れきっている。なら、止めるのではなく、逃がすしかない。 壁際の溝へ手を当てると、冷たい石の下で、かすかな流れが脈打っていた。僕は事前に見つけた排出路を思い出し、残った歯車を力いっぱい回す。指先に焼けるような振動が走り、視界の端が白く滲んだ。だが離さない。ここで手を放せば、町まで呑まれる。 黒衣の男が何かを投げた。白い霧が爆ぜ、遺跡の空気が一気に重くなる。けれど、その重さは僕にはもう届かなかった。あの粘液に乱された感覚は、何度も飲み込まれた先で、逆に流れの癖を覚えさせていたのだ。乱れは脅威だ。だが、乱れ方さえわかれば、戻す方向も見える。 僕は装置の中央へ掌を押し当てた。集められすぎた魔力が、熱を持った水みたいに逆流する。広間の床を這っていた透明な群れが、一斉に震えた。ぽちゃん、という音が途切れ、代わりに細かな破裂音が広がる。スライムたちは膨らんだ風船がしぼむように輪郭を失い、床へほどけていった。 その瞬間、頭上の天井が大きく裂けた。落ちてくる石塊を、男が僕の前へ飛び込んで受け止める。鈍い衝撃が響き、彼の肩が揺れた。遅れるな。生きるなら今だ。 僕は最後の力で排出路の蓋を外し、暴れた流れを地下深くへ落とした。遺跡は呻くように震え、やがて大きく息を吐く。赤い脈動が消え、広間は崩れかけた静けさに沈んだ。 黒衣の男は瓦礫の向こうで歯噛みしたが、もはや遅い。彼が何かを呟くより早く、足元の床が抜け、闇がすべてを飲み込んだ。 僕は崩れる壁にもたれ、荒い息を整えた。助かったのか、まだ終わっていないのか、それすら曖昧だった。ただ、町へ向かう流れは止まった。仲間を見れば、彼も同じように埃まみれで笑っている。 こうして僕らは、危機を越えたはずだった。だが、瓦礫の隙間から拾い上げた一枚の札には、見覚えのない文字で、次の場所が記されていた。逃げ切ったのではない。招かれたのだと、遅れて気づく。
粘液の異世界迷宮
全年齢小説ID: cmnk5kqfj000001pl9r34bk5r
