エラベノベル堂

潜入捜査官、罠を破る

全年齢

小説ID: cmnkiyux8000001s2ptmisbom

5章 / 全10

控え室の扉の隙間から漏れる声は、思ったより近かった。葉月は息を殺し、壁に背を預ける。中では数人の男が低く言葉を交わしている。誰かが帳面の束を机に叩きつけ、別の誰かが苛立ちを押し潰した声で答えた。 「上の連中は今夜じゃ足りないってさ」 「予定を早めるのか」 「いや、早めるんじゃない。まとめて動かす。港だけじゃない。別の場所にも流す」 葉月の背筋に冷たいものが走った。港の倉庫一つで終わる規模ではない。複数の拠点を使うつもりなら、今ここで見えているのは全体の影にすぎない。さらに別の声が、ため息混じりに続く。 「上層は焦ってる。今月中に全部片を付ける気だ。誰かが嗅ぎ回ってる」 「だから監視を増やすんだろ」 「それだけじゃない。次の夜、あの人が自分で来る」 あの人。その一語だけで、場の空気が変わった。名を口にすることすら憚られる存在が、近くまで降りてくる。葉月は無意識に指先を強めた。もしその場に立ち会えれば、末端ではなく上層の輪郭を掴める。だが同時に、それは潜入が露見する危険が跳ね上がることも意味していた。 彼女は扉の前に立つ自分を想像し、静かに打ち消した。今ここで引けば、二度と同じ距離には近づけない。逃げ道を探すより先に、証拠になる瞬間を拾うべきだ。葉月は伝票を抱え直し、別の作業員の足音に合わせて角を回る。わざと急いだふりをしながら、耳だけは会話の残りを拾い続けた。 「搬出は明朝に前倒しだ」 「検査はどうする」 「通す。書類は直す。誰かが来ても、表では何も出ない」 書類を直す。その言葉が、葉月の胸に刺さった。記録を改ざんするなら、実物と書類の食い違いが生まれる。そこを押さえれば、組織の内側がひとつ崩れる。彼女は危険の輪郭をはっきり感じながらも、足を止めなかった。今夜の会話は、ただの予定変更ではない。上層部が動く前触れだ。ならばなおさら、ここで得られる一枚の紙でも、ひとつの名でも、見逃すわけにはいかない。葉月は控え室の向こうに消える人影を追い、決定的な証拠が落ちるその瞬間を待った。

5章 / 全10

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