倉庫の裏手へ転がり込んだとき、ひなたの肺は熱く、指先はまだ逃げる足音の震えを引きずっていた。薄暗い通路の先で、告発者の男が壁にもたれ、荒い息を整えている。布越しの口元を外すと、彼は濁った声で言った。 「工場は表の顔だ。金も、薬も、ここを通して別へ流してる」 ひなたはしゃがみ込み、周囲の物音に耳を澄ませながらうなずいた。男の話は、彼女の見立てを裏付けるものだった。資金洗浄の帳尻合わせに、薬物流通の中核が重ねられている。そして一枚岩ではない。複数の幹部が、同じ鍋の中で取っ手を奪い合うみたいに、利益を食い合っているのだという。 「誰かが誰かを切り捨てる気配がある。内部が割れてる」 「なら、そこを使う」 ひなたは短く返した。 争いがあるなら、疑いも生まれる。証拠を一気に奪うより、相手同士の牽制を利用して記録を引き出す方が早い。彼女は頭の中で工場の動線を並べ替え、どこで誰が焦り、どこで何を隠すかを考えた。ひとまずは、幹部間の対立を煽るような形で情報を集める。帳簿の複製、搬入口の流れ、出荷の時刻。点をつなげれば、誰が実権を握っているか浮かび上がるはずだ。 その直後だった。耳元で、携帯端末が沈黙した。 さっきまで細く灯っていた通信表示が、ぱたりと消える。ひなたは端末を何度も操作したが、反応はない。通路の端へ寄っても同じだった。外部の協力者に送るはずの信号も、受け取るはずの応答も途切れている。 「電波が死んだ」 男が顔を強張らせる。ひなたは唇を引き結んだ。遮断は偶然ではない。誰かが意図して切り替えた。 工場の中にいるのは自分だけではないが、今この場所で頼れる線は細くなった。外とつながる道が塞がれた以上、次の一手は自分で決めるしかない。ひなたは暗い通路の奥を見つめ、静かに息を整えた。孤立は怖い。だが、誰にも指図されない手順なら、彼女は考えられる。
白衣の潜入捜査官
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