駅の喧騒の中で立ち尽くしていると、黒いパーカーの男が俺の顔から目を逸らし、何事もなかったみたいにベンチから立ち上がった。追いかけようとしたが、その前に背後から小走りの足音が近づく。 「待って。今の、聞こえてた?」 振り返ると、義理の妹が肩で息をしていた。髪は乱れているのに、目だけは妙に澄んでいる。手には、俺が持ち出した木箱と同じ古い匂いのする布袋があった。 「どうしてここが」 「こけしの紋様。あれ、家の記録にあったのと一致した」 彼女は布袋から、薄い紙を一枚取り出した。折り目だらけの古い写しで、こけしの底に刻まれていた渦と枝のような模様が、走り書きの解説と一緒に並んでいる。だが俺が目を凝らしたのは、その紙の脇に添えられた文章だった。 そこに書かれていた構図は、俺が最近描いていた同人誌の冒頭とそっくりだった。森でひとり、焚き火、正体不明の気配、そして吹き出し。 「これ、俺の創作に似てる」 「似てるんじゃない。食い込んでる」 妹は低く言った。俺は笑い飛ばしたかったのに、胸の奥が冷えていく。頭の中で組み立てたはずの場面が、現実のほうから先回りして押し寄せてくる感覚。まるで原稿の余白に、見知らぬ手が文字を足しているみたいだった。 「偶然じゃないよね」 「うん。誰かが、物語の外側から触ってる」 その言葉に合わせるように、また吹き出しが浮かんだ。 「逃げても終わらない」 俺の本音なのか、それとも何かに言わされているのか分からない。だが妹はそれを見て、はっきりとうなずいた。 「この吹き出し、あんたの考えだけじゃない。描いたものが漏れてる」 彼女は俺の手からこけしを受け取り、底の紋様を親指でなぞった。すると木肌の奥で、かすかな脈動みたいな熱が走る。マッサージ機も鞄の中で短く震え、同じ拍子で止まった。 「これ、誰かの干渉の目印だ」 駅前の雑踏が急に遠のいた。俺たちの周りだけ、見えない膜で切り取られたみたいに静かになる。妹は紙を折りたたみ、真っ直ぐ俺を見た。 「あなたを狙ってる連中がいる。でも、本当に怖いのは、あんたの作品そのものを現実に書き換えようとしてる奴かもしれない」 吹き出しの中に、また一文が浮かぶ。 「俺の話を、誰かが勝手に続けてる」 その文を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。創作の続きは、いつだって自分で決めてきたはずなのに。今はもう、ページの向こう側で誰かが笑っている気がした。妹はこけしを抱え直し、静かに言う。 「帰ろう。どこから侵入されたのか、見つける」 俺はうなずくしかなかった。だがそのとき、駅の改札の向こうで、さっきの男がこちらを見ていた。今度は笑っていない。代わりに、まるで次の展開を知っているみたいな顔で、ゆっくりと指を一本立てた。
吹き出す本音、未来を変える
全年齢小説ID: cmnq5t5uq000u01ml9js054fv
