倉庫の奥で、黒いパーカーの男がゆっくり息を吐いた。彼の頭の上に浮かぶ吹き出しは、さっきまでの虚勢を剥がしたみたいに小さく震えていた。 「もう隠せない」 その文を見た瞬間、俺の胸に、怒りとも感謝ともつかない熱が込み上げた。 「お前、何を知ってる」 声にしたとたん、白い枠が空中で揺れる。 「怖い」 「でも、止めたい」 俺は息をのんだ。こいつの感情まで、見えてしまう。いや、見えているのは感情だけじゃない。ためらい、罪悪感、諦め。その全部が文字になって、俺の視界に押し寄せてくる。 男は一歩だけ退き、視線を妹へ向けた。妹はこけしを抱えたまま、微動だにしない。だが彼女の顔色は、今までで一番白かった。 「言うつもりはなかった」 「何をだ」 妹は唇を噛み、ようやく俺を見た。いつも冷静だった目が、今日はひどく揺れている。 「私は、一度見てるの。未来が壊れるところを」 その一言で、倉庫の空気が止まった。俺の頭の上の吹き出しが、勝手に大きくなる。 「どういう意味だ」 妹は震える指でこけしの底を撫でた。 「こけしが見せたの。あなたが消される未来。みんなが、あなたのことを最初からいなかったみたいに忘れていく未来。私はそれを知ってから、何度もやり直した」 「やり直したって」 「記憶だけが残ったの。たぶん、私だけが少し外にこぼれた」 息が詰まった。妹が隠していた真実は、俺を守るための秘密なんて軽いものじゃない。自分の存在を削ってでも、破局を避けようとしていたのだ。 「だから、あんたは俺に冷たくしてたのか」 「違う。冷たくしてでも、あなたを生かしたかった。あの未来では、優しくする暇もなかったから」 喉の奥が熱くなった。怒りがないわけじゃない。こんな大事なことを一人で抱え込んでいたことへの怒りだ。けれど同時に、俺はどうしようもなく救われていた。誰かが、たとえ自分を危険に晒してでも俺を見捨てなかった。その事実が、胸の奥で何度もぶつかって、鈍い音を立てる。 その時、男が低く言った。 「俺たちも、命令で動いてただけだ。本当に書き換えを狙ってるのは、別にいる」 「別にいる?」 男は苦しげにうなずく。 「お前の作品を使えば、過去も未来も丸ごと塗り替えられる。だから、あんたを孤立させたかった。けど、もう遅い」 吹き出しに、冷たい文字が差し込む。 「鍵は、記憶」 俺はこけしを見た。木肌の奥で、眠っていた何かが確かに息をしている。 妹がそっと俺の袖をつかんだ。 「怖いなら、一緒に怖がる。私の存在なんて、消えかけてもいい。あなたが残るなら」 その言葉で、怒りが形を変えた。燃えるだけの熱じゃない。守られた悔しさも、感謝も、全部ひっくるめて前へ押し出す力になった。俺はこけしを両手で持ち上げ、深く息を吸う。 「だったら、消される前に、こっちが先に暴く」 吹き出しが静かに光った。そこには、もう逃げの文ではなく、はっきりとした一文が浮かんでいた。 「終わらせるのは、俺たちだ」
吹き出す本音、未来を変える
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