エラベノベル堂

吹き出す本音、未来を変える

全年齢

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8章 / 全10

倉庫を出たあと、俺たちは町外れの古い工房へ向かった。黒いパーカーの男が残した手掛かりが、そこに繋がっているらしい。薄暗い作業台の上には、彫刻刀や乾いた木屑が散らばり、奥の棚には未完成のこけしが何本も並んでいた。まるで、誰かが何度も同じ形を試し続けた跡だった。 「ここで作られてたんだ」 そう思った瞬間、白い吹き出しがふわりと浮かぶ。妹が棚の隙間を探っていた手を止めた。 「見つけたわ」 彼女が引き抜いたのは、こけしの胴にぴたりと収まる細い紙筒だった。中から出てきたのは、黄ばんだ手紙と、判読しづらい暗号のメモだった。差出人の名はない。ただ文面は妙に静かで、まるで最初から俺に向けて書かれていた。 あなたの書くものは、未来の器になる 形を与えれば、まだ来ていない出来事にも輪郭が生まれる だから、彼らはおまえを怖がる 喉が鳴った。俺の創作が、ただの趣味じゃない。物語として書いた瞬間に、どこかで現実へ触れてしまう。吹き出しが勝手に揺れる。 「俺の話が、道になってる」 妹は暗号を広げ、こけしの底に刻まれた紋様と照らし合わせた。紙の端に走る数字の列は、前に見た座標と一致している。だが最後の一行だけ、妙に浮いていた。 書き手の怒りは鍵ではない。書き手の迷いこそが、扉を開ける 「迷い?」 「ええ。あんたが自分を疑うたび、向こうは入りやすくなる」 その声は静かだったが、重かった。俺は自分の胸を押さえる。これまでの吹き出しは、ただの恥ずかしい本音だと思っていた。だが違う。俺が書く言葉の癖、ためらい、逃げ道、その全部が誰かに利用されていたのだ。 棚の奥で、古いレンズのような物がきらりと光った。マッサージ機に近づけると、小さな震えが走る。こけしの内側から、かすかな紙擦れの音がした。 「まだ入ってる」 妹が木肌を慎重に押すと、底板がわずかにずれた。そこには、もう一枚、小さな紙片が折り込まれていた。俺はそれを広げ、思わず息を呑む。 そこに書かれていたのは、俺が最近まで描いていた同人誌の、まだ誰にも見せていないラストだった。しかも、最後のコマにだけ、見覚えのない一文が足されている。 吹き出しは消えない。だが、誰の声を載せるかは選べる 視界が揺れた。俺の頭上に浮かぶ文字は、恐怖ではなく、妙な確信を帯びていた。 「俺が描けば、奪われない」 妹は小さくうなずいた。 「そう。物語そのものを使う相手なら、物語で返すしかない」 工房の外で、遠くから車の停まる音がした。黒いパーカーの男が振り返り、苦い顔で言う。 「来た。上の連中だ」 俺はこけしを抱え直し、暗号の紙を握った。手は震えている。でも、その震えはもう逃げたいだけのものじゃない。書ける。まだ書ける。吹き出しが俺の額の前で震え、次の一文を差し出す。 「続きを選ぶのは、俺だ」 その瞬間、こけしの中で何かが静かにほどけた。古い紙の匂いと、乾いた木の匂いが混じり合う。俺は初めて、自分の創作が誰かに盗まれるためのものではなく、未来を押し返すための刃になるのだと知った。

8章 / 全10

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