エラベノベル堂

吹き出す本音、未来を変える

全年齢

小説ID: cmnq5t5uq000u01ml9js054fv

9章 / 全10

工房を出た夜道は、妙に明るかった。街灯の輪の中で、俺の頭上に浮かぶ吹き出しだけがやけに白い。続きを選ぶのは俺だ、そう書かれた瞬間から、胸の奥で何かが逆流していた。怒りだと思っていたものは、ただの復讐心ではない。奪われた時間を取り戻したい、そう願うほどに、壊したい衝動も強くなる。 だが、壊すだけで終わるのか。俺は立ち止まり、こけしを抱え直した。木肌のぬくもりが掌に伝わる。妹は少し前を歩き、振り返らないまま言った。 「来るよ。たぶん、最後の相手が」 「黒幕って、結局誰なんだ」 彼女は足を止めた。路地の先、古いビルの窓に、見覚えのある影が揺れている。あの黒いパーカーの男ですら、顔をしかめた。 「名前は、まだ一つじゃない。けど、中心にいるのはあそこ」 妹が指したのは、街のはずれに建つ出版社の管理棟だった。創作誌や同人誌の流通を支配している会社。俺の本が、妙に早く売れたり、逆に消えたりしていたのもそこに繋がるらしい。 「悪意だけじゃないのか」 「違う。あの人たちは、未来を固定したいだけ。揺れる世界は怖いから、誰か一人の失敗を全部の答えにして、安心したいの」 その言葉に、吹き出しが静かに震えた。 「怖いから、決めつける」 俺の本音が、相手の本音と重なって見えた。そうか、と喉の奥で声にならない声が落ちる。奴らはただ壊したいんじゃない。別の未来を閉じ込めて、傷つかない形にしてしまいたいのだ。あまりに極端で、あまりに身勝手な救い方だった。 「でも、それで誰かを消すのは違う」 言い切った瞬間、復讐の熱が少し冷めた。消されかけた自分を思うと、相手を罰したい気持ちは消えない。それでも、同じやり方で返せば、俺もあいつらと同じになる。 妹が小さく息を吐いた。 「やっと迷ってくれた」 「迷っちゃ駄目だったのか」 「迷えるなら、選び直せるから」 その返事は、胸の奥に深く沈んだ。復讐は簡単だ。踏みつけられた痛みのぶんだけ、同じ痛みを返せばいい。だがそれでは、また誰かが別の未来を奪われる。俺はこけしを見つめた。ここに宿った記憶は、誰かの都合で閉じ込められたままのものだ。なら、解放するべきは怨みじゃない。選べなかった時間そのものだ。 「壊すだけじゃなく、選び直す」 声に出すと、吹き出しの文字が少し変わった。 「まだ遅くない」 誰の声ともつかない一文だった。俺はその文を見て、深く頷いた。ビルの上階で、蛍光灯が一つ消える。管理棟の扉が静かに開き、冷たい空気が流れ出した。 「行こう」 妹が先に歩き出す。俺も続いた。復讐心はまだある。けれど、その先にあるのがただの破壊ではなく、自分で未来を選び直すことなら、俺はそちらを選ぶ。吹き出しは消えないまま、目の前で淡く揺れた。まるで、次の一文を待っているみたいに。

9章 / 全10

TOPへ