仕事帰りの大人たちは、なぜか俺のいる製菓学校の空き教室に集まるようになった。三十代の講師、近所の書店員、夜勤明けの配送員。誰も約束したわけではないのに、缶コーヒーや安い菓子を手にして、気づけば丸い机を囲んでいる。 最初は偶然だと思った。だが、俺が作った試作品の皿を出すたび、彼らは決まって少し肩の力を抜き、普段なら飲み込むような本音までこぼし始める。上司に認められないこと、家族に言えない不安、歳だけ重ねて何者にもなれない焦り。甘い匂いに包まれると、舌先の警戒だけがほどけるらしい。 「君の前だと、変に強がれないな」 配送員の男が苦笑した。俺は頷きかけて、ふとその言葉を聞き流していいのか迷った。昔の俺なら、こういう場をうまく利用しただろう。相手の弱さを見抜いて、必要な情報を引き出し、思い通りに動かす。金を積めば大抵のことは片づく。少なくとも、そう信じてきた。 だが目の前の顔は、買い取れる類いのものではなかった。疲れた目も、沈黙の間も、誰かに触れられたくない部分も、すべて生身だった。 「それ、しんどいですよね」 口をついて出た言葉に、自分で少し驚いた。慰めるつもりでも、正解を言うつもりでもなかった。ただ、分かると言いたかった。すると書店員の女が目を伏せ、笑うでもなく息を漏らした。 「分かるって言われると、少しだけ救われるね」 その夜、店員がまた現れた。彼は裏口から入るなり、机に古い家系図の写しを広げた。紙の端には、例のキーワードが何度も書き込まれている。 「あなたの家に眠っていた記録と、こちらの古文書の語りが一致しました。これは封印の合図です。人を縛るためではない。壊れかけた境目を結び直すための言葉です」 「じゃあ、俺がここに集めてた連中は」 「香りに反応して、守りを必要とする人が無意識に寄ってきているのでしょう。あなたは無自覚に、避難所のようになっている」 俺は黙った。守りだの避難所だの、綺麗な言葉に聞こえるのに、少し前までの自分なら全部金で代用できると考えていたはずだった。だが、誰かの不安を埋めるのは札束ではない。机の上に並ぶ記録を見つめるほど、その当たり前がやっと骨身に染みていく。 店員は家系図の隅を指でなぞった。 「次は、あなたの家の蔵です。そこに、拘束具の本当の形が残っている」 俺はうなずいた。人を動かすためではなく、理解するために人と話す。そんな当たり前を、今さら覚え始めていた。
深夜香る再生の扉
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