エラベノベル堂

激辛カレーと予知の先輩

全年齢

小説ID: cmnscu3az000o01qaapfjrw17

7章 / 全10

「予知が、外れたんですか」 私の声は、思ったより乾いていた。先輩は肩に置いた手を離さず、静かな人物を見据えたまま答えない。個室の空気は、さっきまでよりずっと薄い。黒い車のヘッドライトが窓の隙間をかすめ、壁に白い筋を残した。 「外れたように見えるだけだ」 先輩がようやく言った。 「見える、ですか」 「敵は心を読む。だから真っ直ぐ当てれば避けられる。外れたふりをして、こちらの手札を隠した」 静かな人物が鼻で笑った。 「その言い方は便利だな。だが、彼女には通じない」 「通じるように言っていない」 私は二人を見比べた。どちらの言葉も、半分は本当で半分は煙幕に思える。さっきまで確かに味方だったはずの距離が、急に遠い。心を読む相手がいるなら、読ませたくない気持ちまで拾われる。そう考えた瞬間、背中がぞわりとした。 「私、何を信じればいいんですか」 先輩はすぐには答えなかった。代わりに、テーブルの上へ小さな封筒を置く。見覚えのある印が端にあった。激辛カレーの店名、そして私が着ていた衣装と同じ記号。ばらばらに見えた点が、一本の線で結ばれていく。 「それを開けて」 中には写真が一枚入っていた。倉庫の入口、黒い車、そして私が気づかないうちに置いていた紙袋。しかも、その配置は今夜の出来事そのものではない。よく見ると、映っている影の向きが違う。これは過去の記録じゃない。未来の候補だ。 「そんな」 「見えた未来は、ひとつじゃない」 先輩は低く言った。 「外れたんじゃない。敵に見せるための未来を、わざと選んだ」 静かな人物が目を細めた。 「つまり、私を誘ったのか」 「いや」 先輩は私を見た。 「誘ったのは、彼女だ」 息が止まった。私が? そんなはずはない。けれど、写真の端に小さく映った指先が、私の癖に似ている。激辛を運んだとき、無意識に紙袋を右手から左手へ持ち替えた。その動きが、敵の注意を一度だけ逸らしたのだとしたら。 「君は選ばれるより、選ぶほうが強い」 先輩は言った。 「それを敵に悟らせたくなかった」 「じゃあ、予知が外れたように見せたのも」 「罠だ。疑いが生まれれば、敵は心を読む回数を増やす。増えたぶんだけ、読めない空白も増える」 私は封筒を握りしめた。信じたいのに、信じるほど怖い。なのに、ひとつだけ分かることがある。先輩は私を騙すためだけにここへ連れてきたわけではない。少なくとも、あの写真に映る未来は、私が自分の足で踏み込んだものだ。 そのとき、黒い車のドアが開いた。降りてきたのは、見知らぬ男ではなかった。あの、最初に激辛カレーを受け取った男だ。彼は真っすぐこちらへ歩き、静かな人物の前で足を止める。 「もう隠さなくていい」 男はそう言って、懐から別の紙袋を取り出した。中身は、あの衣装と同じ記号のタグがついた、見慣れた容器だった。私はそれを見て、ようやく気づく。激辛カレーも、あの衣装も、最初から勝敗を分ける道具じゃない。真実を暴くために、味と視線をずらす仕掛けだったのだ。 「敵の目的は、裏社会の頂点を奪うことじゃない」 男が続けた。 「誰が誰を選ぶか、そこまで操ることだ」 先輩の目が細くなる。 「やっと来たね」 私は立ち上がった。誰かに選ばれるための役割は、もういらない。ここで私が選ぶ。先輩を信じるか、目の前の真実を追うか、その両方を抱えたまま進むか。答えはひとつじゃない。 「私は、止まりません」 静かな人物がわずかに笑った。敵か味方か、その境目さえ曖昧な笑みだった。けれど私はもう迷わない。激辛の匂いが、遅れて鼻に届く。あれは脅しではない。扉を開けるための鍵だ。 先輩が私の背中を押した。 「行こう。今度は、君が先に選ぶ」 その一言で、私はようやく理解した。外れた予知は失敗ではなく、私が自分の意志で未来へ踏み出すための、静かな合図だったのだ。

7章 / 全10

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