エラベノベル堂

喫茶店と時止めの嘘

全年齢

小説ID: cmnu3eh45000c01s8l38kav5f

4章 / 全10

街の裏側は、昼の顔とまるで違っていた。駅前から三本目の路地を抜け、古い倉庫街へ入ると、看板のない扉がいくつも並んでいる。その一つを開けた先で、私は初めて、喫茶店のマスターがただの店主ではないと知った。 薄暗い室内には、紙束と地図と、見慣れない印がついた封筒が積まれていた。マスターは椅子にもたれ、私のほうを見ずに言った。 「ここから先は、君のためだけの話じゃない」 声は穏やかなのに、空気がひとつ冷える。棚の影から現れた男女は、町の支援団体を名乗る者たちだった。けれど、その立ち居振る舞いは支援のそれではない。誰かを守るためというより、動かしている。そんな感じがした。 私は黒い衣装の袖を握りしめた。今日は外出先で、力の流れを読むための模様を少し足してある。皮膚の上で淡く浮かぶ線を目で追うと、彼らの周りだけ、空気がねじれて見えた。見えない糸が何本も伸び、町のあちこちへ張り巡らされている。喫茶店の常連、近所の配達員、駅員、さらには私の勤め先の上司まで、一本ずつ引っかかっている気がした。 「あなたたち、何をしてるの」 そう聞くと、マスターはようやく私を見た。あの温かい目のまま、でも今日は、その奥に別の暗さがある。 「君を遠ざけている。危ないものから、全部ね」 「全部、って何から」 返事は少し遅れた。 「知れば、君は戻れなくなるものからだ」 その瞬間、私は理解した。守られているのではなく、守られた形に整えられているのだと。喫茶店で差し出された砂糖も、帰り道に変わる送迎車も、私が迷わないように置かれた目印も、すべてが見えない陣営の手だった。善意の顔をした網。そこに私は、気づかないふりで包まれていた。 けれど、恐ろしいのに、少しだけ救われてもいた。私が壊れないように、誰かが先回りしていたこと。その事実だけは、冷たい床の上で足を失いかけた心に、わずかな支えをくれる。私はゆっくり息を吐き、封筒の山のひとつを見た。そこには私の名前が、何度も書き直された跡があった。 「私、何に選ばれたの」 問いかけた声は、思ったより静かだった。 マスターは答えず、ただ窓の外へ目をやった。倉庫街の向こうに、夕暮れの雲が低く垂れている。その向こうで、別の誰かもまた、私を見ているのだと、私はなぜか確信した。

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