エラベノベル堂

喫茶店と時止めの嘘

全年齢

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5章 / 全10

翌日の午後、私は三回同じ時計を見た。三度とも針は違う場所を指しているのに、窓の外を流れる雲の影はさっきと同じ形だった。教室の廊下を行き交う足音も、電話の呼び出しも、どこか一瞬だけ遅れて届く。音が先に消えてから、身体だけが追いつくような気味の悪さが、ひとつ、またひとつと積み重なった。 休み時間、職場に来るはずのない高校の職員から、確認の電話が入った。私の勤め先に提出した住所、緊急連絡先、通勤経路まで、妙に正確に把握されている。誰が教えたのかと考えるより先に、私は答えを知っていた。先回りしているのは偶然じゃない。こちらが動く前に、相手は私の生活の外枠を少しずつ塗り替えている。 その夜、喫茶店へ行くと、マスターは何も聞かずに温い紅茶を出した。私は黒い衣装の袖口をつまみ、皮膚の上で薄く浮く模様を見つめた。力の流れは、相変わらず店内を優しく巡っている。けれどその奥に、針のように細い冷気が何本も刺さっていた。壁の向こう、通りの向こう、もっと離れた場所から、誰かがこちらの動きを測っている。 「学校の人たち、私の周りに入り込みすぎてる」 そう言うと、マスターはわずかに眉を寄せた。 「気づいたか」 その一言が、今まででいちばん不自然だった。まるで、気づく時刻まで決められていたみたいに。 そこへ義理の姉が入ってきた。いつものように明るい顔をしているのに、目だけが急いでいる。私を見るなり、ため息をひとつ落とした。 「今日は帰りなさい。ここに長くいると、余計なものを拾うよ」 私は立ち上がらなかった。姉の言葉の端に、守る響きと、遠ざける響きが同時にあったからだ。 「知ってるんでしょう。先生たちのこと」 姉の肩が、ほんの少し固くなる。答えない沈黙は、肯定より重かった。 マスターがカップを置く音が、妙に大きく響く。 「彼らは時間を止める。正確には、人の選択を止めるんだ」 私は息をのんだ。止められるのは時計じゃない。会話も、誤解も、逃げ道も、最初から決まった形へ押し込まれていく。学校で出会った教師たちが、進路指導や相談室の顔をしながら、人間関係そのものを整列させていた理由が、急に一本の線になってつながった。 姉が私の名を呼ぶ。けれどその呼び方は、前より少し遠い。ここへ来るよう勧めたのは誰だったのか。守られていたのは私じゃなく、誰かの都合だったのではないか。そんな疑いが胸に差し込み、温かかった場所の床が、急に薄い板に変わった気がした。 「ここは安全じゃないの」 私がつぶやくと、マスターは否定しなかった。代わりに、静かに目を伏せた。 その顔を見た瞬間、理解した。喫茶店は逃げ場所ではない。網の外側に見せかけた、もう一つの結び目だ。私は守られていたのではなく、選ばれるまで寝かされていたのだ。 窓の外で、街灯がひとつだけ瞬いた。次の瞬間、時計の針が短く跳ね、姉の手がわずかに止まる。私はその隙間に落ちたような静けさの中で、自分の力が何に触れているのかを初めて正しく怖れた。

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