エラベノベル堂

喫茶店と時止めの嘘

全年齢

小説ID: cmnu3eh45000c01s8l38kav5f

6章 / 全10

あの夜、私は義理の姉の声を聞きながら、もう二度と同じ温度では呼ばれないのだと知った。彼女は喫茶店の奥で、マスターと短く言葉を交わしていた。窓の外には、時間が折れ曲がったみたいな静けさが漂っている。学校の教師たちが仕掛けた停滞の網は、私の大切な人まで、いつのまにか飲み込んでいた。 「帰って」 姉はそう言った。けれど、その目は私を帰す目ではなかった。私を、もう一段深い場所へ押し込む目だった。私は黒い衣装の袖口を握りしめ、胸の奥で何かが焼けるのを感じた。怒りは、熱ではなく透明な刃のように澄んでいく。相手を止めれば取り戻せる。そう信じかけた瞬間、マスターが私の前へ立った。 「まだ、壊すな」 低い声だった。私は思わず睨みつけた。 「壊さなきゃ、あの人たちを連れていかれる」 「連れていかれた先で、もう戻れないとは限らない」 答えになっていない。けれど、その曖昧さが妙に重かった。マスターは続ける。 「勝つことと、救うことは違う。君は今、そこを越えようとしている」 私は息を止めた。止まっているのは相手だけじゃない。自分の心臓も、選択も、全部が一点に集まり、爆ぜる直前の火種になっている。姉は唇を噛み、視線を伏せた。彼女もまた、誰かを守るためにここへ立たされているのだと、ようやくわかった。私が憎むべきは一人じゃない。けれど、だからといって失ったものが軽くなるわけでもない。 マスターは棚から細い銀の針のようなものを取り出し、私の手に置いた。 「これは相手を傷つける道具じゃない。止まった流れに、もう一つの出口を作るためのものだ」 「そんな都合のいいこと、あるわけない」 「あるさ。君が諦めなければ」 その言葉に、私は初めて泣きそうになった。救えなかった人の顔が脳裏に浮かぶ。失ったと思い込んでいたぬくもりが、まだ向こう側に残っているかもしれないと考えた途端、復讐だけでは足りないことが胸に落ちてきた。倒すだけでは、空白は埋まらない。取り返したいなら、相手の中に残る迷いごと掬い上げるしかない。 姉が小さく頷いた。 「ごめん。でも、まだ終わってない」 その声は、謝罪よりも合図に近かった。私は針を握り、暴れ出しそうな力を、ひと息ずつ手元へ戻していく。敵をねじ伏せるためではなく、誰かを引き戻すために。初めて私は、戦う理由を選んだ。

6章 / 全10

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