エラベノベル堂

規格外の先生

全年齢

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4章 / 全10

訓練場の片隅で、誰もが同じ空気を吸っているはずなのに、呼吸の音だけがばらばらだった。黒いコートの男は腕を組んだまま、全員の前に立っている。だが前に立つくせに、誰かを庇うために踏み込んではこなかった。その距離感が、かえって落ち着かない。 「今日は見守る。口は出すが、手は出さない」 千尋が目を見開く。梓は思わず声を荒げた。 「そんなの、ただ突っ立ってるのと同じじゃないですか」 「違う。お前たちが自分でぶつかる余地を残す」 沙耶が鼻で笑った。 「結局、面倒を見てるだけでしょ」 男はそれを否定しなかった。否定しないまま、視線だけを向ける。その視線に押されて、沙耶は言葉を失った。 模擬危機の合図が鳴る。あえて不完全に組まれた配置の中で、誰がどこへ動くかは委員会の判断に任された。けれど千尋が指示を出す前に、梓が先に踏み出した。 「私が前に出る。千尋、回収班を」 「待って。前だけじゃ足りない」 彩乃が小さく声を上げる。いつもなら遠慮して飲み込む言葉を、今は振り絞るように続けた。 「前に出る人が強いんじゃない。戻れる道を作る人がいないと、前は進めない」 沙耶が反発する。 「じゃあ私が道を切る。けど、足止めなんて悠長なことは嫌いだ」 「嫌いでもやる」 千尋の声が、初めて震えずに響いた。男はそこで初めて、ほんの少しだけ口元を動かす。 「それだ」 その一言が火種になった。梓は沙耶に苛立ちをぶつけ、沙耶は梓の慎重さを嘲った。千尋が止めに入っても、今度は誰も引かなかった。積もっていた不満が、危機の形を借りて一気に噴き出す。 「私たち、結局あなたに頼ってばかりだった」 彩乃の言葉に、空気が凍る。 「誰かが強く言ってくれないと、誰も決められないままになる。だから、私は怖かった」 梓は視線を落とし、沙耶は舌打ちの代わりに息を吐いた。 「私だって怖い。前に出れば正しいと思ってた。でも違った」 千尋が一歩進む。 「守るって、勝つことじゃないんだね。私たち、ずっと勘違いしてた」 男はそこでようやく一歩だけ下がった。誰かの背を押すのでも、肩を貸すのでもない。彼はただ、彼女たちが互いを見るのを待っていたのだとわかる。 「言えたなら十分だ。次は、言ったことを守れ」 その瞬間、訓練場の向こうで低い警報が鳴り始めた。だが誰も慌てなかった。梓が前を見て、沙耶が脇を固め、彩乃が数を数え、千尋が全体を束ねる。男は扉の前に立つものと思われたが、そこでも一歩引いた。 「行け。お前たちの隊だ」 委員会は走り出した。背中に感じるはずの圧は、もう脅しではない。振り返れば、彼がいたはずの場所には誰もいなかった。代わりに、窓際のカーテンだけが静かに揺れている。 戻ってきたとき、男は既に姿を消していた。机の上には一枚の紙だけが残されている。そこには、たった一行、乱暴な字でこう書かれていた。 自分たちで決めろ 千尋はそれを握りしめ、なぜか笑ってしまった。あれほど不器用に守られていたのに、最後に残されたのは命令ではなく、選ぶ自由だったからだ。

4章 / 全10

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