学園内に、昨日から妙な噂が流れ始めていた。対策委員会が内部で揉めている、あの男は素性の知れない危険人物だ、仕事を押しつけられた生徒が泣いていた。言い回しは少しずつ違うのに、芯だけは同じだった。誰かが、委員会の足元を揺らそうとしている。 会議室に集まった千尋たちの表情は硬い。梓は腕を組み、沙耶は苛立ちを隠さず、彩乃は机の端を見つめていた。噂の出どころを追っても、聞こえてくるのは伝言の鎖ばかりで、最初のひとつが見えない。そこへ、黒いコートの男が遅れて入ってきた。 「顔が暗いな」 「暗くもなります。私たちの悪口みたいな話が広がってるんです」 千尋が言うと、男は肩をすくめた。 「なら、悪口を言う側の気持ちを先に考えろ。何が欲しい」 「……混乱?」 「違う。安心だ」 その一言に、部屋の空気が止まった。男は机上の紙束を取り上げ、噂が出回った時間帯と場所を書かせる。誰が誰に渡したかを線でつなぐうちに、ひとつの癖が浮かび上がった。噂は決まって、廊下の掲示板の前で広がっている。しかも、話し手は皆、委員会が自分たちを見捨てるのではと不安を抱えていた。 「誰かが不安を探して、そこに火を落としてる」 彩乃が呟く。 「探すまでもない。火種はもうここにある」 男は窓の外を見た。 「委員会が強いと信じられない奴ほど、先に揺れる。なら、信じさせればいい」 梓が眉をひそめる。 「どうやってですか。噂に勝手に反論しても、また次が来るだけです」 「反論するな。順番を取れ」 男は廊下へ出ると、掲示板の前に人だかりを見つけた。生徒たちは委員会の失敗談を囁き合い、半信半疑の顔で立ち止まっている。男はその中心に割って入らず、少し離れた壁際に立ったまま、何気ない声で言った。 「委員会が何をしているか知りたいなら、本人に聞けばいい。噂を回すより早い」 強くはない。だが、妙に耳に残る声だった。ひとりが振り返り、別のひとりが 「でも忙しいんじゃ」 と漏らす。男はそこで初めて、薄く笑った。 「忙しいからこそ、正面から来い。逃げ道を探す相手に、逃げる理由を与えるな」 その言葉は、不思議と命令ではなく、背中を押す段差のように聞こえた。生徒たちは少しずつ掲示板から離れ、委員会室へ直接向かい始める。千尋たちが対応に追われる中、梓は驚いた顔で言った。 「問い合わせ、増えてます。しかも、みんなちゃんと話を聞いてくれる」 「噂に対して噂を返さず、顔を見せたからだ」 男は淡々と言う。 「信用は説明で生まれない。面倒を引き受ける姿で生まれる」 沙耶が苦笑した。 「嫌な言い方なのに、腹が立たない」 「慣れたか」 そのやり取りの最中、彩乃が掲示板の端に貼られた一枚のメモに気づいた。誰にも見られぬよう細く折られた紙には、委員会の活動時間と、なぜか男の移動経路が書かれていた。千尋の顔から血の気が引く。 「これ、調べられてる……」 男は紙を一瞥し、静かにそれを破った。 「脅しだ。次は直接来る」 「そんな、どうしてわかるんですか」 「不安を煽るやつは、追い詰められると姿を見せる。隠れたままでは勝てないからだ」 その夕方、委員会の前に、噂を流していた張本人が現れた。上級生だった。怯えた目をして、しかし退路だけは必死で探している。男は一歩も踏み込まず、ただ相手の視線を受け止めた。 「委員会を壊したかったのか」 「違う……自分たちが放っておかれると思っただけだ」 男は頷く。 「なら最初からそう言え。噂は人を遠ざけるが、弱さは人を集める」 誰もが黙った。上級生の肩から力が抜け、千尋はようやく息をつく。騒ぎは終わっていない。だが、流されかけた信頼は、今ここでつなぎ直された。 その夜、掲示板には新しい紙が貼られた。委員会からの告知だった。疑問があれば直接来てほしい、話し合いは逃げない、と短く書かれている。最後に、どこか乱暴な文字で一文が添えられていた。 噂より先に、顔を見せろ 千尋はそれを読み、思わず笑った。あの男は力でひっくり返したのではない。人の心がどこで揺れるかを知って、その揺れを支えに変えただけだった。そうして委員会は、少しずつ、確かに戻り始めていた。
規格外の先生
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