夜の資料室は、紙の匂いだけがやけに濃かった。千尋たちが机を囲み、先日までの記録を洗い直していると、彩乃が一冊の古い要覧を引き寄せた。表紙には剥げかけた校章、その内側に、削られたような筆跡で同じ姓が残っている。 「これ……先生の名前に、少し似ています」 黒いコートの男は、初めてすぐに答えなかった。指先で要覧の端を押さえ、まるで遠い記憶の硬さを確かめるように目を伏せる。 「似ていて当然だ。昔、ここで呼ばれていた」 梓が息を呑んだ。 「昔、って、先生はこの学園の出身なんですか」 「出身、というより置いていかれた」 その言葉は静かだったのに、部屋の空気を薄く切った。沙耶が眉を寄せる。 「それで、今さら戻ってきたんですか」 「戻ったんじゃない。戻されるはずだった場所を見に来た」 千尋は要覧の該当ページを開く。そこには十年以上前の災害記録と、事件処理に関わった特別協力者の欄があった。名前は塗りつぶされているが、横に残る短い記号が、今も男が身につける古い鍵飾りと同じ形だった。 「この記号……」 「黒幕は、学園の外にいると思っていたか」 男の声が低くなる。 「違う。最初から内側だ。秩序を保つふりをして、崩れる順番を待っている。俺はそれを止め損ねた」 誰も言葉を挟めなかった。先生は強いだけの人ではない。過去に、この場所を守れなかった人だった。その事実が、千尋の胸に重く沈む。 彩乃が恐る恐る問う。 「じゃあ、私たちに厳しいのは……」 「同じ失敗をさせたくないからだ。守ると言いながら、誰か一人に背負わせれば、最後に残るのは後悔だけになる」 男は要覧を閉じた。 「黒幕はもう動いている。委員会を分断し、学園の信頼を剥がし、最後に安全そのものを疑わせる。そうなれば、誰も手を伸ばさなくなる」 梓の顔色が変わる。 「じゃあ、先生はそれを知ってて、私たちを鍛えてたんですか」 「鍛えたんじゃない。選べるようにした」 その瞬間、廊下の非常灯が一斉に落ちた。暗闇の中で、どこか遠くのスピーカーから歪んだ雑音が流れ、続いて学園全域の警報が短く鳴る。 千尋が立ち上がる。 「来る……!」 男は扉へ向かうが、そこで足を止めた。振り返った顔には、いつもの冷たさではなく、かすかな疲れが滲んでいる。 「俺の過去は後でいい。今は、お前たちが自分の意思でここに立てるかだ」 その言葉を合図に、委員会の面々は一斉に動いた。けれど男は先頭に立たない。ただ扉の向こうにある闇を見据え、短く告げる。 「黒幕を、ここへ引きずり出す」
規格外の先生
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