エラベノベル堂

時軸を継ぐゴスロリ

全年齢

小説ID: cmnurpgqa001901s8t0vdb996

6章 / 全10

都市の夜は、もう学園の外側だけのものではなかった。信号は数分おきに死に、駅の自動改札は薄い霧のような異常で沈黙し、救急車の往路は見えない渋滞に呑まれた。怜が投入した資金は、情報網も交通網も警備網も研究班も、すべてを束ねるための鎖として働いたはずだった。だが今や、その鎖は都市全体を縛る輪郭に変わりつつある。 「もうやめるべきよ」 地下本部の暗がりで、綾音が静かに言った。黒い衣の袖口だけが白く浮いている。 「何を」 「全部。握りすぎた手を開くこと」 怜は画面に並ぶ地図を睨んだ。赤い点が増えるたび、ひとつの区域を封鎖し、ひとつの車列を回し、ひとつの病院へ人員を送る。そのたびに、別の場所で空白が生まれる。誰かの名前が消え、誰かの居場所が消え、そして何より、自分の中の確かな感触が削れていく。 「助けるためだ」 「助ける、って言葉で何を隠してるの」 綾音の問いはいつも苛烈だったが、今夜は妙に遠い。怜は振り返り、彼女の顔を見た。嫌いだったはずの輪郭は、いつしか怒りより先に痛みを呼ぶ。誰よりも知りたくない相手でありながら、誰よりも自分の空白に近い。 「俺が間違っているなら、代案を出せ」 「もう出してる」 綾音は机上の古い懐中時計を置いた。蓋が開いたままのそれは、針が逆向きに進んでいるように見えた。 「あなたの記憶構造は、都市の防壁そのものよ。外から来た異形を閉じ込めるんじゃない。あなたが忘れた真実を、あなた自身が守るために組まれてる」 怜は息を呑んだ。そんな馬鹿な、と即座に否定したかった。だが、封鎖区域の通信ログ、研究班の報告、消えた生徒の一覧、そのどれにも自分の筆跡に似た改変痕がある。思い返せば、金で埋めた穴はいつも、何かを封じる形に整っていた。 「じゃあ……俺は何をしていた」 綾音は少しだけ目を伏せた。 「救済装置を作っていたの。別の時間のあなたが」 その言葉の直後、都市の防災放送が一斉に鳴った。だが音は途中で途切れ、代わりに懐かしい声が流れる。怜自身の声だった。 『もしこれを聞いているなら、まだ間に合う』 背筋が凍る。綾音は微笑まないまま、まっすぐ怜を見た。 「大嫌いだったでしょう、私のこと」 「今もだ」 「それでいい。私は敵じゃない。あなたが選べなかった道を、もう一度選ばせるための案内役」 怜は画面の向こうで揺れる都市を見つめた。異形は消えていない。だが、完全に滅ぼすことが正解ではないと、身体の奥が知っている。忘れた真実を取り戻せば、何かは失われる。けれど、何もかもを握り続ければ、救いそのものが壊れる。 怜はゆっくりと端末から手を離した。 「綾音」 「なに」 「俺は、まだ選べるのか」 綾音は懐中時計を閉じた。 「今さら何を迷うの。あなたはもう、選び直すためにここまで来たのよ」 その瞬間、都市のどこかで封鎖がひとつ解け、遠くの夜景に灯りが戻った。怜は初めて、失うことと守ることが同じ場所にあると知った。握りしめるのではない。差し出すのだと、理解した時にはもう、綾音が静かに扉へ向かっていた。

6章 / 全10

TOPへ