放課後の理科準備室に、僕は一人で残っていた。窓の外では運動部の掛け声が遠ざかり、蛍光灯の白い音だけが頭に残る。机の上には、さっき回収したプリントと、昼に食べた激辛カレーの匂いがまだ微かに染みついていた。僕はノートを開き、同級生たちの会話を思い返す。平気そうな顔、角の立たない言い方、遅れて来る優しさ。あれは感情がないのではなく、押し込めた熱をため込んで、必要なときにだけ放つ仕組みだ。研究員として観察すれば、同じ反応がいくつも見えてくる。相手の言葉を受け流すたび、胸の内で密度が上がる。静かな水面の下で、圧が育っているのだ。 その結論にたどり着いた瞬間、頭上の吹き出しがはじけた。『気づくな』『遅い』『でも今ならまだ間に合う』。文字が増殖し、準備室の空気を埋める。僕は手で払おうとして、逆に自分の声を漏らした。廊下の向こうで、誰かが立ち止まる気配がする。大切な相手だと分かったのに、吹き出しは勝手に先走った。『来るな』『見られたくない』『でも会いたい』。会いたい、という一語だけが妙に大きく浮かび、扉の向こうの足音をためらわせた。 ようやく現れた彼女は、いつもの柔らかな目をしていたが、どこか他人行儀だった。最近の周りの熱に巻き込まれているせいだと、僕はすぐに悟る。彼女の背後には、あの静かな同級生たちがいた。僕が一歩近づくたび、彼らの吹き出しは薄く整っていく。『離れておけ』『そのほうが安全』『本人のためだ』。安全、という言葉が一番危ない。僕は息を吸った。 そのとき、ポケットの中で金属の輪が冷たく鳴った。店員の言葉が重なる。鍵は扉を開けるだけではない。閉じるためにもある。僕は準備室の流し台に目を落とし、隅に置かれた保湿ローションの瓶を見つけた。保健室から借りたものだ。何の脈絡もない二つの品が、頭の中で急に一本につながる。激辛カレーで思考を熱し、保湿ローションで過剰な摩擦を鎮める。相反する刺激で吹き出しの暴走をずらせば、相手の感情の波を断ち切れるかもしれない。 僕はカレーの残り香を指先でなぞり、瓶を握った。次に口を開くべき言葉は、もう決まっている。会いたいではなく、助けたいだ。吹き出しが少しだけ静かになる。彼女がこちらを見て、初めて迷いを浮かべた。遅れて、廊下の奥で何かが外れるような音がした。遠いどこかの扉が、今まさに閉じ損ねたのだと分かった。
吹き出す本音とカレー
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