エラベノベル堂

猿面の天下取り

全年齢

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3章 / 全10

門前へ駆け戻った兵が、息を詰まらせたまま膝をついた。言葉は一度で出ず、次に漏れたのは泣き声に近い音だった。秀吉はその顔を見ただけで、もう半分を悟った。だが悟ったままでは、周りの者が崩れる。彼は笑いを消さず、ただ声だけを低くした。 「要点だけ申せ」 「御所が……いえ、本能寺が……」 兵の喉が詰まる。秀吉は目を閉じなかった。閉じれば、信長の声が耳の奥で甦る気がしたからだ。まだだ、と自分に言い聞かせる。まだ死んだと決めるな。だが続く報せは、戦の煙より重かった。明智の軍勢が門を破り、寺は炎に包まれ、主君の消息は途絶えたと。 広間の空気が一斉に凍る。誰かが刀の柄に手をかけ、誰かが唇を震わせた。秀吉はその揺れを見逃さず、先に声を放った。 「泣くな。泣くのは、敵を追い払ってからでよい」 言い切ると、自分の胸の奥で何かがひび割れた。信長の前では何度も頭を下げた。その死に際に間に合わなかったと思うと、熱いものがこみ上げる。だが、その熱に呑まれれば終わる。秀吉は袖の中で拳を握り、悲しみを小さく丸めて奥へ押し込んだ。 「すぐに馬を用意せよ。京へ戻る道は一本ではない。焼け残りの情報を集める者、諸将に使いを出す者、逃げた僧や町人にまで聞き込みをする者、今すぐ分ける」 戸惑う家臣たちに、彼は次々と指をさした。誰が早いか、誰が口が堅いか、誰が噂を広げるのが巧いか、もう見えている。哀れみを口にする者より、先に動く者を拾わねばならない。秀吉は自分の手元に残る兵の数を思い、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。少ない。だが少ないからこそ、迷う暇がない。 「明智を討つ。何より先に、あの名を逃がすな」 その名を口にした瞬間、周囲の空気がわずかに変わった。恐れが形を持つ。秀吉はそれを掴み、逆に押し返すように続けた。 「信長公の仇を曇らせるな。悼むのは後だ。生き残るのが先だ」 自分にも言い聞かせるような声だった。やがて馬のいななきが外から響き、秀吉は小さく頷いた。報復は感情ではなく段取りだ。悲しみは夜に閉じ込め、朝には刃に替える。彼はもう動いている。誰よりも早く、誰よりも冷たく、そして誰よりも必死に。焼け落ちた寺の向こうで、次の天下の形が、まだ見えぬ煙の中にかすかに立ち上がっていた。

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