エラベノベル堂

舞台の処方箋

18+ NSFW

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5章 / 全10

暗闇の中で、美鈴の涙が止まらなかった。悦びも悲しみも、役として演じてきた感情はすべて舞台上のものだった。誰かの人生を生きることに慣れすぎて、自分が分からなくなっている。 「私、本当に自分が分からないの」 美鈴は震える声で告白した。 「舞台のたびに、誰かの人生を演じてきた。役が終わると、自分が誰だったか思い出せない。鏡を見ても、中身が空っぽみたいで……怖いの」 悠陽は黙って聞いていた。否定も慰めもせず、ただ彼女の言葉を受け止めている。その沈黙が、美鈴には何よりも温かかった。 「こんなこと、誰にも言えなかった。信太郎さんには心配かけたくないし、劇団の人には弱みを見せられない」 美鈴は自嘲気味に笑った。 「なんであなたなんでしょうね。さっき会ったばかりなのに」 「必要とされていたからでしょう」 悠陽の答えは簡潔だった。 「あなたが誰かに本当のことを話したかった。僕がたまたまそこにいた」 「違うわ」 美鈴は首を振った。 「ただそこにいただけじゃない。あなたは……私を見てくれた。舞台の光も、役の仮面も関係なく、私そのものを」 悠陽の手が、美鈴の頬に触れた。涙を拭う優しい手つき。 「美鈴さん、演じることは悪いことじゃない。でも、あなたが演じるのは誰かの人生だけじゃなくて、あなた自身の人生もです」 悠陽の言葉が、美鈴の胸に沁み込んでいく。 「自分を取り戻すには、誰かの役を演じるのを一度やめて、自分だけの時間が必要かもしれません」 「自分だけの時間……」 美鈴はその言葉を反芻した。 「でも、そんなのないわ。私、舞台しか知らないから」 「今ここにあるじゃないですか」 悠陽が美鈴の手を両手で包み込んだ。 「この暗闇で、誰の目も気にせず、あなたと話している時間。これがあなたの時間です」 美鈴の心臓が早鐘を打った。悠陽の体温が手の甲から伝わってくる。誰かにこうして触れられたのは、いつぶりだろうか。役としてではなく、女として誰かに優しくされたのは。 「……不思議ね」 美鈴は悠陽の目を見つめた。薄明かりの中で、彼の瞳は静かな光を宿していた。 「あなたといると、怖くないの。閉所も、暗闇も、自分の弱さも」 「それはあなたが強いからです」 「違う」 美鈴はゆっくりと体を預けた。悠陽の肩に頭を乗せる。 「あなたがいてくれるからよ」 悠陽は彼女を受け止めた。細い肩が、震えている。舞台の主演として輝く女優は、今はただの一人の弱い女性だった。そしてその姿こそが、美鈴自身なのだと、悠陽は確信していた。 「もう少しだけ、こうしていていいですか」 美鈴の声は小さかった。 「ええ、いつまででも」 美鈴は悠陽の首に腕を回し、その温もりを確かめるように抱きしめた。心の底から惹かれている。演じている感情ではない、本物の想い。それが彼女の中で、急速に膨らんでいった。

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