地図は、茶屋の灯りの下で見るほど奇妙だった。折り目に沿って走る線は、普通の街道図のようでいて、ところどころが欠け、印のような文字が薄く滲んでいる。真由が指で辿るたび、指先の奥で微かな熱が応えた。悠希は向かい側で湯をひと口飲み、いつもの曖昧な笑みを浮かべたまま、地図の縁に小さく視線を落とすだけだった。 「これが、記憶の手がかりなの」 「手がかり、というより入口です」 言い切る声は静かだった。真由は地図を持ち上げ、窓から差す夕暮れの光へかざす。すると、薄い紙の奥に重なるように、かすかな模様が浮かんだ。文字ではない。古い印章のような、円と線が絡んだ痕跡だ。どこかで見た気がするのに、思い出せない。胸の内に引っかかるその感じが、逆に真実に近い気がした。 悠希はそれ以上説明せず、代わりに一枚の細い札を差し出した。地図の端に差し込むためのものらしい。 「最初は近い場所から行くべきです。無理に全部を思い出そうとすると、むしろこぼれます」 「あなたは、どうしてそこまで……」 真由の問いは、最後まで形にならなかった。悠希は視線だけで、先を急ぐなと告げたように見えたからだ。 その夜、真由は商業都市の外れにある宿で、地図を寝台の上に広げた。地図に描かれたひとつ目の印は、街からそう遠くない丘陵地を指している。古い祠のような場所だと、宿の主人が何気なく教えてくれた。人の口に上ることも少ない、忘れられた石の建物。真由はその名を聞いただけで、頭の奥がかすかに疼いた。 翌朝、まだ空気の冷たい時間に丘へ向かった。草は朝露を含んで重く、足元で小さく鳴った。祠は崩れかけていたが、入口の上には王国の紋章によく似た刻みが残っていた。真由が息を止めて近づくと、胸の奥で何かが強く引かれる。ここだ、と言葉にならない感覚が背筋を走った。 石壁に触れた瞬間、冷たさの向こうから低い振動が返ってきた。しばらくして、壁の隙間に隠されていた薄い板が落ちる。埃を払うと、そこには古い断章が刻まれていた。王女は血のために在らず。門を守るために在り、月の下で契約を継ぐ者なり。 真由は文字を追いながら、息を呑んだ。王女として生まれた理由。それが、ただの飾りや継承ではないことが、文の端々から滲み出る。門。契約。継ぐ者。迷宮の名を思い浮かべた途端、石板の文字がさらに熱を帯びた。 続く一節は、王国が豊かさを得る代わりに、深い場所の力と約を結んだことを示していた。守る者と守られる者がいるのではなく、互いを縛り合う形で国が保たれてきたらしい。魔族という言葉はまだ出ていない。それでも真由は、その向こうに長い緊張と見えない代償が横たわっているのを感じた。 「こんなもの、誰が隠したの」 独り言に、祠の中は答えない。だが石の床に落ちた朝の光が、断章の文字だけをやけにくっきりと浮かび上がらせていた。真由は紙片を胸元にしまい、もう一度入口の紋章を見上げる。王女として扱われてきた自分の理由が、少しだけ形を持ち始めていた。だがそれは誇りより先に、重さとして肩に乗る。国を守るために生まれたのだとしたら、自分は何を守るために立ってきたのか。 地図はまだ終わりを示していない。丘の向こうにも、同じような印がいくつか残されている。真由は断章を確かめるように握りしめ、再び道の先へ目を向けた。朝日はすでに高くなり始めていた。
記憶を継ぐ王女
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