夕暮れの道は、丘陵を越えるたびに色を変えた。真由は荷を抱え直し、地図に記された次の印へ足を向ける。昨夜から、悠希の言葉が胸の奥で何度も反響していた。今はまだ急がなくていい。だがその声は、不思議なくらい急かされる感触も持っていた。 小さな宿場に着いたころには、空は群青に沈みかけていた。真由が休む間もなく地図を広げると、悠希が隣に立っている気配がした。振り向けば、彼は当然のようにそこにいる。まるで、そうあるべき場所を知っていたみたいに。 「ここは、初めて来る場所のはずなのに」 真由が低く言うと、悠希はわずかに目を細めた。 「そうですね」 「なのに、あなたは迷わない」 彼は返事をしなかった。ただ、真由が指で示した印に視線を落とす。その静けさが、かえって不自然だった。風が宿場の旗を揺らし、遠くで犬が一度だけ吠える。真由は、これまで積み重なってきた違和感をひとつずつ思い返した。初めて会ったときから、彼は王宮の内情を知りすぎていた。未来を避けるような言い回しを重ね、肝心なところでは答えを濁した。それでも、彼女を見捨てる気配だけは一度もなかった。 「悠希」 呼ぶと、彼の肩がかすかに揺れた。 「あなた、同じことを何度も経験してるみたいに話すことがある」 その一言で、空気が止まった。悠希の表情から、いつもの軽さがすっと消える。笑って逃げることも、別の話に逸らすこともしない。ただ、長く閉じていた扉が少しだけ開くように、彼は息を吐いた。 「……見抜くのが早いですね」 真由は地図を握る指に力を入れた。心臓が速く鳴る。答えを聞く覚悟はまだ整っていない。それでも、ここで止まれば何も変わらない気がした。 「破滅を避けるために、何度も時間の流れをやり直してきたんです」 声は低く、けれど揺れていなかった。真由は言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。やり直す。時間を。そんなものは物語の中にしかないはずだった。だが悠希の目は、冗談を口にする者の色ではない。 「殿下が城で追い詰められる未来も、試験場で潰される未来も、何度も見ました。だから手を変え、場所を変え、順番を変えてきた。あなたがここまで辿り着くためなら、私は自分の結末さえ変えてきたんです」 真由は息を止めた。胸の奥に、怒りとも恐れともつかない熱が広がる。彼の言葉は重すぎた。守るために、そこまでやり直すのか。誰かの未来を変えることが、誰か自身を削ることだとしても。 「どうして、そこまで私を」 問いは途中で途切れた。悠希は答えない。いや、答えられないのだと、真由にはなぜか分かった。 「今は、続きより先を見てください」 彼はそう言って、封の切れた地図を真由の手に戻した。夜の気配が濃くなり、宿場の灯がひとつずつともり始める。真由は地図を見下ろしながら、彼の沈黙が嘘ではないことだけを確かに感じていた。やり直された時間の向こうで、悠希はいったい何度、自分の名前を飲み込んできたのだろう。問いたいことはまだ山ほどある。それでも、彼の手がずっと自分をこちら側へ引き止めていたことだけは、もう疑えなかった。
記憶を継ぐ王女
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