エラベノベル堂

喫茶店から守る声

全年齢

小説ID: cmotm8j6t02d001pc1hz7hmrq

3章 / 全10

扉の鈴が鳴ったのは、閉店準備を少し始めたころだった。相良陸斗はカウンターの内側で伝票をまとめていた手を止め、入ってきた莉緒を見た。帽子のつばは深く、マスクも外していない。それでも今日は、昨日より少しだけ足取りが速い。焦りを隠そうとしているのが、かえって分かった。 「少しだけ手伝ってほしい」 席に着く前に、莉緒は小さく言った。陸斗は頷き、奥の小さなテーブルにノートと予備の端末を並べる。配信に使う雑務だと、彼女は短く説明した。視聴者から届くコメントの並びを確認し、怪しい流れを見つけたら記録しておきたいらしい。陸斗は画面を覗き込み、時間、投稿者名の並び、同じ言い回しの繰り返しを淡々と書き留めた。 最初は雑談に混じる程度だった嫌味が、少しずつ濁った水のように増えていく。誰かを名指ししないまま、やけに似た言葉が連なり、場の空気だけを冷やしていく。陸斗が指で画面を送るたび、莉緒の肩がわずかに強張った。 「気にしなくていい」 彼女はそう言った。いつもの、強気な調子だった。だが、その声には聞かせるための硬さがあった。気にしないと言いながら、目は一度も画面から離れない。 陸斗は問い詰めなかった。ただ、似た投稿が重なった時刻だけを丁寧に控え、無関係に見える言葉も一緒に残した。続けて見ていると、流れが不自然なほど揃いすぎている瞬間がある。誰かが同じ場所から、少しずつ空気を汚しているようだった。 莉緒は一度だけ、口元を押さえて笑った。 「大げさに見えるかもしれないけど、こういうの、放っておくと広がるから」 「分かる」 陸斗は短く返した。すると彼女は一瞬だけ安心したように見えたが、すぐに視線を逸らした。弱みを見せるのを、ひどく警戒しているのが分かる。助けを求めれば、その瞬間に何かが崩れるとでも思っているようだった。 画面の端に、また同じ調子の文が流れた。陸斗が記録欄へ写すと、莉緒は何も言わず、ただ静かに唇を結んだ。強く振る舞うほど、抱え込む重さは増していく。その危うさを、陸斗は黙って見届けるしかなかった。店内には、印字機の小さな音と、冷めかけたコーヒーの香りだけが残っている。莉緒は平静を装ったまま、その場から逃げずに画面を見つめ続けていた。

3章 / 全10

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