夕方を過ぎるころ、総務課の空気はすっかり静かになっていた。定時のベルはとうに鳴っているのに、机の上にはまだ未整理の紙束が残っている。明日の社内向け資料の差し替えと、棚卸し用の伝票確認が重なって、残るしかない流れになったのだ。一真は肩を回しながら、プリンタから吐き出された紙を揃えた。 隣では結衣が黙々とファイルを開いていた。昼間の軽口が嘘みたいに落ち着いた顔で、付箋の位置を一枚ずつ直している。その几帳面さは相変わらずで、一真が見直しの確認を頼むたび、彼女は迷いなく答えた。だが、ひと区切りついたところで、結衣はふいに椅子を引き、一真の方へ身を乗り出した。 先輩、ちょっとだけやり方変えませんか 一真は手を止めた。変えるって、何をだ。 このままだと、伝票と差し替え用の紙が何度も行ったり来たりします。だから、先に束を三つに分けて、配る順番も置く場所も固定しちゃうんです。私が棚、先輩が机、って分担すれば、戻す手間が減ります あまりにあっさりした提案だった。一真は最初、思いつきに見えてしまって、眉を寄せる。だが結衣はすでに立ち上がり、紙束を迷いなく三分割していた。ひとつは会議室用、ひとつは回覧用、残りは保管用。分類の基準が明快で、しかも実際に手を動かす速度が速い。 やってみれば、確かに流れが変わった。さっきまで一枚ごとに確認していた作業が、束ごとの移動に置き換わる。棚と机を何度も往復していた足が止まり、必要な紙が必要な場所にすぐ届く。散らばっていた雑務が、見えない線で一気に結ばれていく感覚だった。 一真は驚きながらも、無駄な動きが消えていくのを見ていた。結衣は派手に指示を出すわけでもない。ただ、淡々と手順を組み替えているだけなのに、残っていた作業がするすると片付いていく。 先輩、今のうちにこっちの確認も終わらせましょう 結衣が差し出した伝票の束は、すでに順番まで整っていた。一真は苦笑するしかない。いつものおとなしい空気をまといながら、突然こんな大胆なことを言い出すとは思わなかった。しかも、その大胆さは思いつきではなく、仕事を楽にするための最短の答えだった。 お前、そういうの思いついたなら最初から言えよ 言うタイミング、見てましたから 結衣はさらりと返して、少しだけ口元をゆるめた。その笑みは、からかいというより手応えを楽しんでいる顔に近い。一真は呆れながらも、机の上から視線を外せなくなる。面倒な雑務だと思っていたものが、彼女の一言でこんなに片付くとは。 時計を見れば、もうかなり遅い。だが室内には不思議と疲れた感じが少なかった。結衣が組み替えた段取りのおかげで、残っていた紙の山は目に見えて減っている。最後のファイルを閉じると、彼女は小さく息をつき、何事もなかったように立ち上がった。 先輩、今日はこれで大丈夫です 一真はうなずきながら、彼女の横顔を見た。控えめで静かな後輩だと思っていたのに、仕事の詰まりどころを一気にほどく大胆さがある。そのくせ、やり方はあくまで自然で、押しつけがましさがない。 結衣は整えた書類の山を見て、満足そうに目を細めた。残業の空気はまだ冷たかったが、机の上だけはきれいに片付いている。一真はその様子を見ながら、彼女の提案がただの思いつきではなく、最初からここまで見えていたのだと気づき始めていた。
控えめ後輩の仮面
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