午後の打ち合わせが終わり、総務課に戻るころには窓の外がすっかり傾いていた。書類の山は片づき、残っているのは机の上に並べた確認票だけだ。一真が印鑑を探していると、結衣がその横で静かにファイルを閉じた。 先輩、少しだけ時間いいですか いつもの落ち着いた声だった。だが、その一言には珍しく、逃げ場のない響きがあった。一真がうなずくと、結衣は周囲を一度だけ見回し、人気のない会議室の扉を少しだけ開けた。中に入ると、彼女は椅子に座らず、手にした紙を指先で整えた。 家のこと、あまり話したことなかったので 一真は黙って聞く。結衣は少し視線を下げ、まるで順番を確かめるみたいに言葉を選んだ。子どものころから、周りに合わせるのが早い子だと言われてきたこと。静かにしていれば手がかからないと褒められたこと。けれど本当は、うまく合わせているふりをしないと、空気の端に置いていかれる気がしていたこと。 だから、目立たないようにするのが癖なんです。変に見えないように、先に形を整えておくというか そこまで言って、結衣は自分の言葉に少しだけ苦笑した。職場で見せる大胆さも、からかうような軽口も、最初から強い人の余裕ではなかったのだと、一真は遅れて気づく。自分を小さく見せるだけでは守れない場面があるから、あえて揺さぶる側に回る。何も知らない顔で飲み込まれるより、先に印象をずらしておいたほうが楽だったのかもしれない。 先輩が思ってるより、ずっと器用じゃないんです。私 その言い方は、弱音に近かった。けれど結衣はすぐに肩をすくめて、いつもの調子に戻そうとする。大丈夫です、って顔をしていれば、だいたい何とかなるので。そう言いながらも、その横顔はどこか疲れて見えた。 一真は初めて、彼女の大胆さを別の角度から見た。気まぐれでも、挑発でもない。それは、周囲に合わせるために無理を重ねてきた人が、自分を守るために編み出したやり方だったのだ。見られたくない部分を隠すために、わざと目を引く。つかみどころがないようでいて、実は誰よりも必死に均衡を取っていたのだろう。 結衣は紙を胸に抱え直し、少しだけ息を吐いた。 先輩に言うつもり、なかったんですけどね 一真は、そうか、とだけ返した。慰めの言葉はいらない気がした。ただ、今見えたものを軽く扱いたくなかった。彼女が見せていた強さは、余裕の証ではなく、傷つかないための工夫だったのだと知ってしまった以上、もう以前のようには見られない。 結衣はその沈黙を責めず、むしろ少し安心したように目を細めた。会議室の外では、誰かが椅子を引く音が遠くに響いている。一真は扉の隙間から漏れる明かりを見ながら、結衣の横に立つ自分の影が、さっきより少しだけ近くなった気がした。
控えめ後輩の仮面
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