私はしばらく黙っていた。白衣の裾から冷たさが抜けていくのを見ながら、さきほどまでの恐怖が、今度は別の形で胸に沈んでいく。彼女は怒っていた。ふざけた怪異の演出をしたのではなく、この研究室が抱えた放置を、あの手この手で私に突きつけたのだ。 「修理費を渋った覚えはない、とは言えん」 そう口にすると、自分でも驚くほど弱い声になった。彼女は腕を組み、冷えた目でこちらを見返す。私は制御盤の横へ移動し、空調の表示と警告ランプを見直した。応急運転では動いているように見えても、どうやら実際には熱負荷が限界に近い。室外機の不安定さも、配線の接触不良も、どれも一つずつは軽く見えて、重なると厄介だ。 「原因を洗い出そう。感情論だけでは、部屋は涼しくならない」 自分で言っておきながら、少し情けなかった。だが彼女は意外にもすぐにうなずいた。 「やっとその言葉が出ましたね」 毒のある口調だったが、先ほどまでの刺々しさは薄れている。 私は机の上の書類を引き寄せ、研究費の申請記録と修理見積もりを広げた。数字の並びはどれも生々しく、見て見ぬふりをしてきた現実そのものだった。彼女もまた、保管庫の温度記録や備品の異常をメモにして持ってきていたらしい。どうやら私は、怖がらされている間に、すでに必要な証拠をそろえられていたことになる。 「このままでは、機器の寿命が先に尽きる」 私が言うと、彼女は小さく息を吐いた。 「だから言ったんです。放置は、結局いちばん高くつくって」 その一言に、私は返す言葉を失った。怒られているのは当然なのに、妙に悔しい。けれど同時に、彼女の目がようやく私を敵ではなく、話の通じる相手として見始めているのもわかった。 二人で記録を突き合わせるうちに、研究室の空気は少しずつ変わった。さっきまでの緊張は消えない。それでも、同じ問題を見ているという感覚が、熱に焼かれた部屋の中に細い道を作る。 「教授、これ、先に整理してください」 彼女が差し出した紙束を受け取る。私はうなずき、修理と予算の扱いを改めて洗い直すことを約束した。彼女はそれを聞いて、ようやくほんの少しだけ表情を緩めた。 私は紙の束を抱えたまま、研究室の奥を見た。恐怖に追い詰められていたはずの場所が、今はやけに現実的に見える。解くべき謎はまだ残っている。だが少なくとも、今夜はただ怯えるだけでは終わらない。そう思った瞬間、制御盤の奥で、何かが小さく鳴った気がした。
灼熱研究室の雪女
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