私は紙束を受け取ったまま、机の端にそれを並べた。彼女の指示は容赦がない。だが今は、その厳しさがありがたかった。汗で湿った手のひらを白衣で拭い、研究費の申請書、修理見積もり、温度記録、電源ログを一枚ずつ見比べる。 「まず、故障の切り分けです」 彼女は制御盤の蓋を少しだけ開け、配線の束を覗き込んだ。 「空調本体は止まってない。止まりかけてるのは補助回路です。しかも、電源系統の乱れが一度じゃない」 「つまり、単純な経年劣化ではないと」 「ええ。熱で弱っただけなら、ここまで表示が飛びません」 私は頷き、見積もりの数字に目を落とした。修理費は想像より高く、申請が通らない理由も露骨だった。備品の更新は後回し、研究費は最低限、予備費は削れるだけ削られている。見れば見るほど、止まっていたのは機械だけではないと分かる。 「私が甘かった」 そう漏らすと、彼女は短く鼻で笑った。 「やっと認めましたね」 その一言に刺はあるのに、もう憎々しさは薄い。私は続けて、保管庫の異常記録と照らし合わせた。温度の落ち込み、表示の乱れ、足音の演出に使われた時間。並べてみると、確かに一つの筋が見える。誰かが怖がらせるために仕掛けたもの、だが、それを成立させるだけの脆い環境が最初からあったのだ。 「この研究室は、壊れかけを我慢で支えていた」 私が言うと、彼女は少し黙った。それから、いつものぶっきらぼうな声で返す。 「我慢で支えるの、もう限界でした。だから、教授が見ないなら見せるしかなかった」 責める言葉なのに、妙にまっすぐだった。私は書類の端を揃えながら、胸の奥の引っかかりを認める。彼女の怒りは演技ではなかった。怖がらせるしかなかった不器用さと、守りたかった焦りが、どちらもそこにあった。 「修理は、やる」 私ははっきり言った。 「それと、予算の使い方も洗い直す。君が出した記録も、正式な資料にする」 彼女の目がわずかに見開かれる。信じ切れない顔だが、完全に拒んではいない。 「……本当に?」 「ああ。逃げない」 その答えに、彼女は視線を逸らした。だが耳まで赤くなっているのは、熱のせいだけではないだろう。私は少しだけ息を吐いた。機械の故障を前にしているはずなのに、部屋の空気が変わっていくのが分かる。熱と冷気に振り回されていた研究室に、ようやく人の手でほどける現実が戻ってきた。 彼女は配線図を指先で押さえ、最後に私へ紙束を差し出した。 「じゃあ、次はここ。停電寸前のところから先に」 私はその紙を受け取る。限られた道具で、できることは多くない。それでも、同じ問題を見つめる視線が二つあるだけで、暗い部屋の輪郭は少しだけ変わる。 私は制御盤の中へ手を伸ばした。金属の冷たさが指先に触れる。その瞬間、奥のほうで、ほんの小さく、何かが鳴った気がした。
灼熱研究室の雪女
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