私は制御盤の中へ伸ばしかけた手を止めた。今の音は、金属同士が触れたような軽い響きではない。もっと奥、機械の背骨のさらに裏側で、何かが小さく身じろぎしたような、不穏な気配だった。 彼女も同時に顔を上げる。 「今の、聞こえましたか」 「ああ」 私は低く答え、制御盤の蓋を開けたまま中を覗き込んだ。配線は整っているようで、ところどころに熱で乾いた埃がこびりついている。だが、異音の出どころはここではなかった。補助回路のさらに奥、普段なら意識もしない暗がりに、細い表示灯が一度だけ瞬いた。 「また表示が」 彼女の声がかすかに硬くなる。 私は目を凝らした。瞬いた光はすぐ消えたが、そこだけ空気が違う。熱に浮かされた部屋の中に、ありえないほど冷たい透明な層が差し込んだようだった。さっきまでの怒りや緊張とは別の、説明のつかない圧が、静かに研究室の奥から滲んでくる。 「仕掛けの残りか」 私がそう言うと、彼女は首を振った。 「違います。ここ、私が触った範囲じゃない」 その断言に、背筋がぞくりとした。彼女の演出なら、足音も冷気も、そして白衣の影も筋が通る。だが今見た異常は、あの茶番の延長ではない。機器の内部で起きた、もっと質の違う揺らぎだった。 私は配線図を見下ろした。空調、電源、計測機器、どれも単独では説明がつかない。けれど今の瞬きは、まるで何かが内部から順番を待っているみたいだった。人の手で押し込めたはずの問題の底に、別の手触りが潜んでいる。 「教授」 彼女が小さく呼ぶ。 私は返事をしないまま、制御盤の奥へ視線を戻した。そこにはもう、ただの故障とは言い切れない気配がある。さっきまでの作り物めいた怪談は、確かにひとつの始まりだったのだろう。だが、終わりではなかった。 研究室の空気が、またわずかに冷える。汗をかいた肌の上を、冷たい指先がなぞったような錯覚に、私は息を詰めた。彼女も同じものを感じたのか、紙束を抱えたまま動かない。二人で視線を交わすより先に、制御盤の奥で、もう一度だけ、かすかな光が滲んだ。
灼熱研究室の雪女
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