「嘘だろ……」 信一は震える声で呟いた。目の前のエアコンの表示は、今やマイナス三十度を示している。だが、実際の室温はまだそこまで下がっていないはずだ。 「莉子、これはお前の悪戯じゃないのか」 「違いますって言ってるでしょ」 莉子が信一の腕に強くしがみつく。彼女の爪が肌に食い込むほどの力強さだった。 「私の悪戯は、白衣で驚かすだけ。エアコンなんていじってません」 信一は彼女の顔を見つめた。その瞳には純粋な恐怖が宿っている。演技ではないと直感した。 「じゃあ、これは何なんだ」 グォオン、グォオン、とエアコンが唸りを上げる。まるで猛獣が咆哮するような、異様な音だった。 「見て、先生」 莉子が震える指で、机の上を指差した。そこには誰も触れていないはずのリモコンが置かれている。 「スイッチ、入ってないのに」 「えっ」 信一がリモコンを手に取る。確かに電源はオフのままだ。なのにエアコンは全力で冷房を吹き続けている。 「壊れてたはずが、勝手に動き出して、リモコンも関係ない……」 信一の背筋に冷たいものが走る。机の下に転がった書類が、風もないのにパラパラとめくれ始めた。 「先生、あそこ」 莉子が小さな悲鳴を上げる。研究室の隅、薬品保管庫の前で、白い霧が渦を巻いていた。 「あれは……」 霧の中から、ふわりと白いものが舞い上がる。雪だった。真夏の深夜、閉ざされた研究室で、雪が降っている。 「ありえない」 信一は言葉を失った。莉子が彼の胸に顔を埋め、震えながら呟く。 「私、本物の雪女を演じるつもりだったけど……もしかして、呼んじゃったんですかね」 その時、エアコンの表示が突然、文字に変わった。『サムイネ』二人は息を呑んだ。それは数日前、信一のモニターに浮かんだ文字と同じだった。 「先生……これ、本当に雪女なんですか」 莉子の声が震える。信一は答えられなかった。ただ、室温が確実に下がっていることだけを肌で感じていた。さっきまでの情事の熱気が、急速に冷めていく。だが、冷えるだけではない。何かが、近づいてくる感覚があった。
灼熱研究室の雪女
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