「意外と、って言われると困るな」 直樹は視線を窓の外へ逃がしながら言った。暗いガラスには、疲れた顔と、その向こうの車内が重なって映っている。莉桜は小さく肩を揺らし、さも面白そうに笑った。 「困る顔、ちゃんとするんだ」 「からかわないでくれ」 「からかってるつもりはないよ」 そう言いながら、彼女はわざとらしくもたれた姿勢を崩し、座席越しに少しだけ身を乗り出した。距離はほんのわずかなのに、空気が急に近づいた気がした。終電の静けさのせいか、それとも彼女の声が妙に耳に残るせいか、直樹は喉の奥が乾くのを感じる。 「じゃあ、質問してもいい?」 「内容による」 「ずいぶん慎重」 「君が簡単そうに見えないから」 莉桜は目を丸くした。驚いたように見えて、その実、反応を待っていた顔だった。けれど次の瞬間、その表情がわずかに曇る。笑みは残っているのに、まぶたの奥が少し重い。車内の白い灯りの下で、直樹はその疲れた色に気づいた。 奔放に見える仕草のひとつひとつは、どこか慣れた手つきだった。人の注意を引く角度も、笑い方も、試すような間の置き方も、最初から身についているものに思える。だがその奥にある目だけは、今ここにいるのに、どこか遠くを見ている。 「君、眠いのか」 直樹が思わずそう言うと、莉桜は一拍遅れて瞬きをした。 「え」 「いや、なんとなく」 「ふうん」 彼女はすぐにいつもの調子へ戻そうとしたが、少しだけ遅れた。頬杖をつき直して、口元だけで笑う。その笑みは軽いのに、目の下には隠しきれない疲れが沈んでいる。 「心配してくれるんだ」 「別に」 「別に、ね」 わざと間を引き延ばすように復唱され、直樹は苦笑した。けれど、さっきまでの警戒心は少し形を変えていた。からかわれているはずなのに、相手のほうが無理をしているように見える。そう思った瞬間、莉桜の視線がふっと逸れた。 窓の外では、夜の街が途切れ途切れに流れていく。車両は変わらず静かで、二人の声だけが小さく揺れていた。 「ねえ、佐伯さん」 名前を呼ばれて、直樹は思わず顔を向ける。 「まだ逃げない?」 その問いは、冗談めいているようでいて、どこか確かめるようでもあった。直樹はすぐに答えず、彼女の目を見た。そこには先ほどまでの挑発よりも、もっと曖昧で、少しだけ擦れた色があった。 「逃げる理由が、今のところないからな」 言い切ると、莉桜はほんの少しだけ口を開いたまま固まった。予想外だったのかもしれない。すぐにいつもの笑みに戻ろうとしたが、その前に、疲れた目元だけがわずかに緩んだ。 終電は変わらず静かに走り続けていた。だが直樹にはもう、目の前の少女がただ気まぐれに話しかけているだけには思えなかった。
終電車内の挑発
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