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終電車内の挑発

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小説ID: cmoz5uqbt050001nazzsvydoh

5章 / 全10

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「少しだけ、ね」 莉桜はそう返してから、ふっと目を細めた。直樹がうなずくと、彼女はわざとらしく肩をすくめる。 「優しいんだか、鈍いんだか分からない」 「どっちでもいいだろ」 「よくないよ。そういうの、ちゃんと困る」 困る、という言い方のわりに、口元には笑みが残っている。直樹はその矛盾に気づいていたが、あえて触れなかった。莉桜の挑発はいつも、真面目な顔をしたあとに冗談へ逃げる。けれど今夜は、その逃げ方すら少し不器用に見える。 「さっきから、ずっと試してるのか」 不意にそう言うと、莉桜の指先がわずかに止まった。車輪の音が静かに床を震わせる。車内にはほとんど人の気配がないのに、二人の間だけ空気がくすぐったく騒がしい。 「何を」 「俺がどこまで付き合うか」 莉桜はすぐに否定しなかった。かわりに、目を丸くしたまま、それから堪えきれないものを飲み込むみたいに口元を押さえた。 「……そこ、見抜くんだ」 声が少しだけ震えていた。笑いに近いが、笑い切れない息だった。直樹はしまったと思う間もなく、莉桜が肩を揺らして笑い出す。 「やだ、本当に」 「何が」 「そういうふうに真面目に返されると、調子狂う」 今度ははっきり笑っていた。からかいのための笑みではない。自分でも可笑しくなってしまった、そんなふうな笑い方だった。直樹は少し面食らい、それでも顔を逸らさなかった。 「調子を崩したか」 「崩したの、そっちでしょ」 「俺が?」 「うん。もっと適当に流すと思った」 莉桜は笑いをこらえながら言った。さっきまで張っていた薄い膜が、いまは少しだけ透けて見える。演技のようにも、本心のようにも見える。けれどその境目が曖昧だからこそ、直樹には彼女が少しだけ軽くなったのが分かった。 「普通なら、そこで距離を置く」 「そうかもしれないな」 「なのに、置かない」 「置く理由がない」 その返事を聞いて、莉桜は今度こそ声を立てて笑った。車内は相変わらず静かなままだ。吊り革も揺れすぎることなく、窓の外には夜の光が流れていく。それなのに、この席の周りだけが妙に賑やかで、狭い舞台みたいだった。 莉桜はひとしきり笑うと、息を整えてから直樹を見た。その目には、からかい半分、安堵半分が混ざっている。 「佐伯さんってさ」 「なんだ」 「たぶん、面倒な人の扱いに慣れてる」 「褒めてるのか」 「たぶんね」 曖昧な言い方なのに、もう挑発には聞こえなかった。直樹は小さく息を吐き、窓の黒いガラスに映る自分の顔を見た。そこには、仕事帰りの疲れた男と、少しだけ口元を緩めた自分が重なっている。 莉桜はその横顔を見ながら、まだくすくすと笑っている。静かな終電の車両で、二人の会話だけがやけに温度を持って続いていた。

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