夕方の光は、工場跡地の割れた窓から斜めに差し込み、埃の粒を金色に浮かせていた。美晴は敷地の奥へ踏み込みながら、錆びたフェンスの前で立ち止まる。かつて父が通っていた会社の面影は、看板の外れた壁と、雑草に半ば隠れた搬入口の名残だけだった。 「……ここまで来るとは思わなかったな」 低くかすれた声に振り向くと、父が立っていた。昼間よりさらに疲れた顔で、手にはくしゃくしゃになった紙袋が握られている。美晴は一瞬、何を言えばいいのかわからなかった。責める言葉ならいくらでも浮かんだはずなのに、目の前の背中があまりに小さく見えて、喉の奥でほどけてしまう。 「どうして黙ってたの」 問いかけは、鋭さよりも震えを含んでいた。父は視線を落とし、しばらく返事をしなかった。風が空き地を抜ける音だけが、ふたりの間を埋める。やがて父は、ようやく息を吐くように言った。 「おまえにまで背負わせたくなかった。会社のことも、借りのことも、全部だ」 その声には、強がりの欠片も残っていなかった。美晴は胸の奥がきりつくのを感じた。家を守ると言ったのは自分なのに、父もまた同じように、守るために黙っていたのだと気づく。無理をして笑っていた姿や、朝の沈黙が、急に別の意味を持って迫ってきた。 「一人で抱えるから、余計にこじれるんだよ」 言い切ってから、美晴は自分の声が思ったより静かだと知った。父が顔を上げる。そこにあったのは反発ではなく、驚きと、少しの救われたような色だった。 「私、責めに来たんじゃない。ちゃんと確かめたいの」 美晴はフェンスの向こうに目をやった。薄暗い建物の中には、まだ片づいていない書類の山があるかもしれない。けれど今は、断片をつなぐための糸が必要だった。 「何があったのか、一緒に見よう。噂のまま終わらせたくない。お父さんも、隠さなくていいから」 父は何か言おうとして、口を閉じた。握りしめた紙袋が、かすかに鳴る。美晴はその沈黙を急かさず、ただ隣に立った。責める代わりに手を差し伸べる、その選び方が、思っていたよりずっと重いことを知りながら。 夕焼けはゆっくりと色を変え、二人の影を長く伸ばしていく。父はまだ答えを出せずにいたが、逃げるように目をそらすこともしなかった。美晴はその横顔を見つめ、次に聞くべきことを胸の中で静かに並べ始めた。
秘密派遣
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