その朝の屋敷は、どこか落ち着かなかった。廊下の向こうで人の声が重なり、普段なら遠慮がちな足音まで強く響いてくる。遥奈は窓辺でそれを聞きながら、胸の奥にじわりと嫌な予感が広がるのを感じていた。 昨日までの噂とは違う。笑い話にして流せる種類のものではなかった。食堂の前を通りかかったとき、親族のひとりが 「このままでは持たない」 と低く言い、別の声が 「権利の整理が先だ」 と冷たく返すのが聞こえた。整理、という言葉が妙に耳に残る。人の暮らしを片づけるみたいな響きだった。 遥奈は足を止めた。屋敷の財産をめぐる話だと、すぐに分かった。没落しかけた家に、にわかに群がる親族たち。誰が家を支えるのか、ではなく、誰が残りを持っていくのか。そんな空気が、廊下の石まで冷やしている気がした。 自室へ戻ると、ユウセイはすぐに気配を感じ取った。布の陰からそっと伸びてきて、遥奈の手首に触れる。いつもなら甘えるような仕草に見えるのに、このときだけは違った。まるで彼女の震えを確かめるように、静かにまとわりついてくる。 「大丈夫よ」 と言いかけて、遥奈は言葉を飲み込んだ。大丈夫ではない。少なくとも、今の屋敷は安全とは言えなかった。誰かが部屋の前で立ち止まるたび、背中が強ばる。ユウセイを見つけられたら、ただで済む気がしない。彼を守るには、まず自分が危険を避けなければならない。 遥奈は器を衣装箱の奥へ隠し、厚い布を何枚も重ねた。手際は静かだったが、指先は落ち着かなかった。それでもユウセイは、離れるのを嫌がるように布の端へ寄ってくる。遥奈は小さく息を吐き、掌でそっと押しとどめた。 「今は、駄目」 その声に、ユウセイはしばらく動きを止めた。彼の体は柔らかく波打ち、まるで不安を飲み込むみたいに静かになる。遥奈は胸の奥が痛むのをこらえながら、扉の向こうに耳を澄ませた。人の気配はまだ続いている。親族たちの会話は断片的で、どれも穏やかではない。 財産を奪おうとする動きは、もう始まっている。そう悟った瞬間、遥奈の中で何かが変わった。怯えているだけではいられない。ユウセイを隠し通すためにも、この騒ぎの真相を知らなければならない。 遥奈は再び布の結び目を確かめ、深く息を吸った。外のざわめきの中に、まだ聞き取れない意図がある。誰が何を狙っているのか。それを探り当てるまでは、気を抜けない。そう思いながらも、衣装箱の陰で静かに身を寄せるユウセイの存在だけが、今の彼女を支えていた。
地下のトモダチ
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