翌朝の光がカーテンの隙間から床へ細く落ちるころ、優馬はソファの背にもたれたまま、机の上に並んだ書類を見ていた。出勤前にせめて最低限だけでも整えたい。その一心で呼んだ相手が、今はリビングの中央に立っている。菜緒は昨夜の失敗を引きずっているようで、いつもより少しだけ肩を縮めていたが、目だけは真っすぐだった。 「今日は、仕事に出る前に困らない程度まで片付けてください。床のものをどかして、机の上は使える状態にして、あと洗い物もそのままにしないでください」 優馬ができるだけ具体的に言うと、菜緒は何度も頷いた。頷き方は真剣なのに、取り出したメモ帳はやはりどこか独特で、箇条書きのはずの線が途中で弧を描き、最後には小さな丸い顔のような印まで付いている。 「確認します。床のもの、机の上、洗い物ですね。それと……優馬さんは、机の上に何があると落ち着きますか」 「え」 「飲みものの位置とか、書類の向きとか、あと椅子の高さとか。人それぞれですよね」 質問は家事の範囲を少しずつ越えていくのに、菜緒の表情はいたって真面目だった。優馬は一瞬言葉を失ったが、答えないまま見つめ返すのも妙に気まずい。 「別に、飲みものは左。書類は重ねすぎない。椅子はそのままでいいです」 「左ですね。重ねすぎない。椅子はそのまま」 彼女は念入りに復唱してから、今度は小さく首をかしげた。 「あと、静かなほうがいいですか。それとも、少し話し声があるほうが落ち着きますか」 「そんなことまで聞くんですか」 「気配りのためです」 さらりと言い切る声に、昨夜の不器用さとは別の手応えが混じっていた。菜緒はメモ帳の端を押さえ、少しだけ胸を張る。 「普通の家事は苦手でも、気配りなら得意です。相手がどうすると楽かを考えるのは、わりと好きなんです」 その言い方には、無理に背伸びした響きがなかった。失敗を隠そうとする軽さではなく、できることを別の形で差し出すような落ち着きがある。優馬は書類の山から視線を外し、彼女を見直した。 「……じゃあ、片付けながらでいいので、俺が使いやすい形にしてください」 「はい。使いやすい形、覚えました」 菜緒はそう返すと、迷いなく床の書類へ手を伸ばした。動きはまだたどたどしい。それでも、机の端に置く角度ひとつ、空になったグラスを端へ寄せる位置ひとつに、妙に丁寧な意識が見える。優馬はその様子を眺めながら、昨夜までの警戒心が少しだけほどけていくのを感じていた。完璧ではない。だが少なくとも、彼女は雑に場を扱う人間ではないらしい。 「優馬さん」 「なんですか」 「いつも忙しそうなので、ついでに疲れにくい並べ方も考えておきます」 その一言に、優馬は思わず短く息を漏らした。面倒見がいいのか、ずれているのか、まだ判別しきれない。けれど、少なくとも今の彼女は、役に立とうとしている。リビングの空気は、少しずつ片付いていく部屋と一緒に、静かに形を変え始めていた。
背伸び家事代行
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