翌朝の空気はまだ少し冷たく、マンションの共用廊下には昨夜の名残みたいな静けさが残っていた。ゴミ出しの袋を片手に部屋を出た優馬は、角を曲がったところで、隣室のドア前に立つ年配の住人と顔を合わせる。菜緒のことを知っているらしいその人は、優馬を見るなり、ああ、と納得したように目を細めた。 「この前来てたお嬢さん、あんまり無理させないほうがいいよ」 何気ない一言だった。だが優馬の足は、そこで止まった。 「無理、ですか」 「若いのに、よくあれこれ背伸びしてねえ。まだ新人さんでしょう。あの子、うちの孫より年下に見えたよ」 優馬は返事を失った。若い。年下。新人。耳に落ちる言葉が、ひとつずつ胸の中で形を変えていく。昨夜までの違和感が、急に輪郭を持ってしまった。丁寧すぎる話し方も、大人びた間の取り方も、全部が見せかけだったのか。騙された。そう思った瞬間、喉の奥がひどく渇いた。 住人は気づかないまま、続けた。 「ほら、初めての仕事だと、ちゃんとして見せようとして空回りすることもあるだろうしね。あの子、顔つきがまだ幼いのに、えらくしっかりした振りをしてたから、かえって心配で」 幼い。その言葉で、優馬はようやく菜緒の表情を思い出した。失敗を隠す笑いではなく、断られないように息を詰めていた顔。大人のふりをしないと、依頼そのものを受けてもらえないと思い込んでいた、あの焦り。怒りが込み上げるはずなのに、先に浮かんだのは、そんなに追い詰められていたのかという、やりきれない感覚だった。 「それ、誰にでも話してるんですか」 「いや、別に。廊下で会えば少し世話を焼きたくなるだけさ」 住人はそう言って笑ったが、優馬の耳にはもう入らなかった。自分が見ていたのは、経験豊富な家事代行ではなく、見た目以上にずっと若く、仕事の場で背伸びをし続けていた誰かだったのだ。気まずさと苛立ちがないまぜになり、拳に力が入る。けれど、その奥底にあるのは、完全な嫌悪ではなかった。 廊下の向こうから、カートの車輪がかすかに転がる音がして、優馬はふと顔を上げた。今すぐ問い詰めるべきなのか、それとも、もう少しだけ様子を見るべきなのか。答えはまだ出ない。ただ、菜緒が何かを隠しているのではなく、必死に隠さなければならない理由があったのだとしたら、その芯はまだ見えないまま残っていた。
背伸び家事代行
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