翌朝のダイニングは、昨夜の名残をまだ薄く引きずっていた。窓から差し込む光は明るいのに、テーブルを囲む空気だけが少しだけぎこちない。正樹は椅子に座るなり、湯気の立つコップを両手で包んだまま、何度か言葉を飲み込んだ。向かいの美樹は、普段どおりを装ってトーストを切り分けながらも、その視線が時折こちらへ来るのを正樹は感じていた。 「昨日は、ほんとにすみませんでした」 ようやく絞り出した声に、美樹は肩をすくめる。 「謝るのはこっちでもあるんだけど。あんな願い、普通は出てこないわよ」 「それは……」 「でも、逃げなかったのはえらいわ」 茶化す口調なのに、そこには確かな温度があった。美樹は正樹の前に皿を置き、それからわざとらしく目を細める。 「約束の代償としては、だいぶ手間がかかったわね。次にそんな顔をしたら、今度はもっとまともな願いを考えなさい」 正樹は耳を赤くし、コップを見つめたまま小さくうなずいた。 「はい。でも、ちゃんと頑張ったのは本当です」 「知ってる」 その返事は短かったが、軽くはなかった。美樹はパンをかじりながら、少しだけ目を細める。騒動の中心にいたはずなのに、今の正樹には、ただの近所の高校生以上のものが重なって見えた。昔から知っている子で、何かあれば放っておけない相手で、それでもきちんと自分の足で結果を掴みにいく子だ。 「おじさんも、昨日は最初から面白がってたしね」 「それは、もう勘弁してください」 「無理。あの顔は覚えておく」 からかわれて正樹がますます縮こまると、美樹はつい吹き出した。けれど笑いの奥には、長い付き合いだからこその安心があった。勉強を見始めたころの不器用な焦りも、約束に振り回された夜も、こうして朝になれば、ちゃんと次へ持ち越せる。そう思えるのは、単なる騒ぎでは終わらない信頼が、二人の間にずっと積み重なっていたからだった。 食器を片づける音が、静かなリズムを作る。正樹は深く息を吸い、もう一度、今度はまっすぐに言った。 「俺、勉強、続けます。ここで終わりじゃないので」 美樹は水を飲み、少し間を置いてから笑う。 「ええ。そこはちゃんと続けなさい。私も、もう少しだけ見てあげるから」 その言葉に、正樹の背筋が自然と伸びた。大きな出来事が片づいたあとに残るのは、騒ぎの熱ではなく、次へ向かう静かな準備だ。ダイニングには、まだ少しだけ照れくさい空気が残っている。それでも二人とも、正式な一区切りに向けて、同じ方向を見ていた。
願いは旧制服
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