同僚に支えられて、華澄はようやく脱衣所前の通路を抜けた。さっきまでの熱気がまだ身体に残っていて、足元は自分のものではないみたいに頼りない。湯上がりの肌に、通路の空気はひやりとしみたが、それでもふらつきは消えなかった。 「ちょっと座ろう。顔、真っ赤だよ」 そう言われたときにはもう、華澄は反論する余裕もないまま、休憩室へ運ばれていた。広すぎない部屋の隅にソファがあり、そこへ横になるように促される。視界は相変わらず滲んでいるが、天井の灯りだけが白くぼんやりと浮いて見えた。誰かが冷たい水を持ってきてくれ、別の誰かが扇子でゆっくり風を送ってくれる。そのたびに、のぼせた頭の奥が少しずつ静かになっていった。 「ごめんなさい、私……」 言いかけて、華澄は言葉を止めた。何に謝ればいいのか、自分でもまだうまく整理できない。ただ、さっきまで必死に平気なふりをしていたのが、急にばかばかしく思えてくる。眼鏡を外したまま歩いたことも、見えないのに強がっていたことも、全部ひっくるめて情けなかった。 扇子の風が頬を撫でる。冷たい水を一口飲むと、喉の奥に残っていた熱が少し下がった。すると、堪えていたものがほどけたのか、華澄の口からぽつりと弱音が落ちる。 「……私、こういうの、苦手なんです。迷惑かけたくなくて、つい無理しちゃうのに、結局、もっと迷惑になります」 言ってしまってから、胸がきゅっと縮む。だが、返ってきたのは責める声ではなかった。 「無理してたんだね」 「最初に言ってくれたら、みんなもっと早く気づけたよ」 静かな声が重なり、華澄はうつむいたまま、しばらく何も言えなかった。視界の端で揺れる扇子の影が、ゆっくりと行きつ戻りつする。その規則的な動きに合わせるように、呼吸も整っていく。 やがて、さきほどまで慌ただしく動いていた同僚の一人が、思い出したように旅館の案内札の話をした。暗い通路では字が見えにくい配置になっていて、しかも入口の表示が思ったより奥まっていたらしい。華澄が迷ったのは、目が悪かったからだけではなく、あの場所自体が分かりにくかったせいでもあった。 その言葉に、華澄は目を瞬かせた。自分だけが極端に間抜けだったわけではない。もちろん見えていなかったのは事実だけれど、少なくともすべてを一人で背負うほどの失敗ではなかった。 「……そうだったんですか」 掠れた声で言うと、誰かがうなずいた。 「うん。あれはちょっと親切じゃなかったね」 華澄はソファの背にもたれ、息を吐いた。まだ顔は熱い。それでも、さっきまで自分を追い詰めていた恥ずかしさの輪郭が、少しだけ変わっていくのを感じた。ひとりで抱え込まなくてもいいのかもしれない。そんな思いが、のぼせた頭の奥にゆっくり残った。
湯けむり眼鏡騒動
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