エラベノベル堂

湯けむり眼鏡騒動

全年齢

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7章 / 全10

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休憩室の空気は、さっきより少しだけやわらいでいた。華澄はソファに身を預けたまま、まだ熱の残る頬を冷やそうと浅く息を吐く。誰かが水の入ったコップを手渡し、別の誰かが扇子をゆっくり動かしてくれる。視界は相変わらず頼りないのに、その気配だけは不思議と輪郭がはっきりしていた。 「で、華澄ちゃんは本当に見えてなかったんだ」 先輩の一人が、からかうというより感心したような声を出す。華澄は喉を鳴らし、コップを両手で包んだまま小さくうなずいた。 「はい……眼鏡がないと、近いものもあまり分からなくて」 言葉にすると、胸の奥で固まっていたものが少しずつほどけていく。昼間からずっと、平気なふりをしていた。旅先で迷惑をかけたくなくて、何でも自分で済ませようとしていた。けれど今になって振り返ると、その強がりが一番危なかったのだと分かる。 「それ、最初に言ってくれればよかったのに」 「ほんと。気を張りすぎだよ」 責める調子はどこにもなかった。むしろ、気づかなかった自分たちのほうを笑うみたいに、同僚たちは肩をすくめる。 「次からは最初に言ってね。代わりにこっちが見張るから」 「眼鏡の予備、持ってる人いないかなって思ったけど、さすがにみんな旅行鞄だしね」 「連絡するときも、見えにくいなら文字より声のほうが早いか」 話はいつの間にか、眼鏡の予備や、困ったときの連絡のしかたへと転がっていく。誰かが真面目な顔で、でも最後には自分で笑ってしまうようにして、予備の連絡先を交換しておこうかと提案した。別の先輩は、華澄の鞄に入れっぱなしになっているかもしれない予備の眼鏡を思い出したのか、後で一緒に確認しようと冗談めかして言う。 「そんな、大げさですよ」 華澄が困ったように返すと、すぐに笑い声が重なった。 「大げさじゃないって。今日は華澄ちゃんが頑張りすぎたの」 「それに、こういうときは素直に言ったほうが勝ち」 その言い方が妙におかしくて、華澄はとうとう少しだけ笑ってしまった。笑うと、まだ火照った顔がさらに熱くなる。それでも、さっきまでの恥ずかしさに飲み込まれる感じはない。皆の声が近く、重なり、余計な気遣いを薄めていく。 華澄はコップを見下ろした。水面は揺れているのに、今度はひどく怖くない。自分の見えなさをごまかさなくても、こんなふうに受け止めてもらえるのだろうか。そう思うと、胸の奥がじんとした。 「……ありがとうございます。私、次からはちゃんと言います」 絞り出すように言うと、先輩たちは満足そうにうなずいた。 「うん、それでいい」 「無理して倒れたら、そっちのほうが困るし」 その一言に、華澄は小さく息を呑んだ。自分の弱さを見せることは、迷惑を増やすことだとばかり思っていたのに、ここでは違った。黙って抱え込むほうが、よほど周りを心配させるのだ。 扇子の風が静かに頬を撫でる。さっきまでの騒ぎが遠くに引いて、休憩室の中には、ゆるんだ笑いと、まだ少しだけ照れくさい沈黙が混じっていた。華澄はコップを持つ手に力を入れすぎないよう気をつけながら、もう一度だけ、今度はちゃんと周囲を見回そうとした。

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