体育館倉庫の扉を閉めた瞬間、外の音がすっと遠のいた。古い木の匂いと、しまい込まれた布の湿った気配が鼻先をくすぐる。ひなは懐中電灯の細い光で、積まれた衣装箱をひとつずつ見渡した。 「ここなら、誰にも見られないよね」 独り言は、すぐに暗さへ吸われた。写真室で突き合わせた記録には、肝心の一枚だけが欠けている。その空白を埋めたくて、ひなは衣装を手に取る。手のひらに乗せると、布は意外なほど軽かった。 「……これを、誰かが着たの?」 答えはない。だが、衣装に残る温度だけが、確かに人の気配を伝えてくる。 ひなは慎重に袖を通した。鏡はない。けれど、胸元の留め具を整えた瞬間、脳裏に短い光が走る。誰かが息をのむ。誰かが笑う。次に、声を出せずにいる顔が浮かんだ。 「演じることでしか、言えないことがある……」 その気づきは、胸の奥を静かに打った。真正面から言えない本音。先生の前では飲み込むしかない願い。ふざけた役に隠して、やっと口にできる言葉。衣装は、そんな気持ちの逃げ道であり、橋でもあったのだ。 ひなは肩に手を置き、深く息をつく。 「だから、あの子たちは、私にしがみついたのかな」 誰かを演じることなら、怖さも寂しさも、少しだけ別の形にできる。そうして初めて、言葉がほどけることがある。 けれど、肝心の自分はまだ思い出せないままだった。祠へ向かう道も、衣装に触れた過去の手触りも、輪郭だけがあるのに届かない。 「私、ここにいたのに……」 声にした途端、視界の端が揺れた。 次に押し寄せたのは、未来の断片だった。文化祭当日の体育館。鳴りやまないざわめき。役を外した生徒たちの目がぎらつき、誰かが叫ぶ。衣装が乱れ、笑い声がひび割れ、視線の先に立つひなが、まるで責められる人形のように何度も何度も映る。 「違う、また……」 ひなは衣装の裾を握りしめた。映像は一度では終わらない。まばたきのたびに、暴走する空気と、ひとり残されて詰め寄られる自分の姿が繰り返される。 「私が、悪いってこと……?」 吐き出した言葉は震えていた。けれど、映像の中の自分は何も答えない。ただ、責める声だけが増えていく。 ひなは倉庫の床に膝をつき、ぎゅっと目を閉じた。記憶は戻らない。それでも、この最悪だけは、見なかったことにはできない。 「止めないと」 かすれた声が、暗い倉庫に落ちる。 教師として正しい言い方は、まだ分からない。けれど、ただ見守るだけでは間に合わないことだけは分かっていた。衣装の布を握ったまま、ひなはゆっくりと立ち上がる。誰かの役を借りなければ届かない本音があるなら、自分もまた、その輪の外にはいられない。 倉庫の隅で、吊り下げられた布がかすかに揺れた。ひなはその揺れを見つめたまま、もう一度だけ、深く息を吸った。
封印の祠
全年齢小説ID: cmpea581l00k001rqkmw7j75o
