エラベノベル堂

ワンピースの向こう側

全年齢

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4章 / 全10

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商店街のカフェは、夕方のざわめきが窓越しに少しだけ薄まっていて、外を行き交う人の影がガラスにゆっくり流れていた。隼斗は出された水を指先で転がしながら、向かいの若菜を見た。さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、彼女は紙ナプキンの端を折り続けている。 「……で、話って何だよ」 隼斗が言うと、若菜は肩をびくっと揺らした。 「な、なんでもないわけじゃないけど」 「それはもうなんでもあるだろ」 「うるさい」 言い返したものの、声は弱い。若菜は唇をきゅっと結んで、それからようやく顔を上げた。 「最近、隼斗が遠くへ引っ越すって、聞いた」 一瞬、隼斗は言葉の意味を取りこぼした。 「……は?」 「だから、その……みんな、そう言ってて」 「いや、初耳なんだけど」 若菜は目を見開いたまま固まった。慌てて続けようとするのに、言葉がうまくつながらない。 「だって、昨日も今日も、なんか……違うし。服も、話し方も、引っ越しの、準備みたいで……」 「準備って、何のだよ」 「だから、その、遠くに行く人みたいな……」 言いながら、自分でも混乱したのか、若菜はまた視線を落とした。隼斗はそこで、ようやく気づく。彼女はからかいを受けていると思って、笑ってごまかしていただけじゃない。本気で、不安だったのだ。 「若菜」 名前を呼ぶと、彼女は小さく肩を震わせた。 「……なに」 「俺、引っ越すなんて聞いてない。少なくとも、そんな話はしてない」 「でも」 「でも、じゃない。変な噂か、誰かの勘違いだろ」 若菜は息を止めたまま、隼斗の顔をじっと見た。さっきまで強がっていた目が、今は少しだけ潤んで見える。 「ほんとに?」 「ほんとに」 即答すると、若菜は力が抜けたみたいに背もたれへ沈んだ。 「……なにそれ」 「こっちの台詞だよ。なんでそんな真剣に悩んでたんだ」 「だって、急にだったから」 小さな声だった。隼斗は少しだけ息を吐いて、苦笑する。 「心配なら、普通に聞けよ」 「聞けるわけないでしょ」 「なんで」 「だって、平気な顔してたら、ほんとみたいじゃない」 その言い方があまりに必死で、隼斗はからかう気をすっかりなくした。若菜はまだ少し赤い顔で、テーブルの上の水を見つめている。背伸びした服装も、さっきまでの強気も、全部が不安を隠すための殻みたいに思えた。 「……ごめん」 ぽつりと落ちた言葉に、隼斗は目を丸くした。 「なんで謝るんだよ」 「だって、変なことばっかりして」 「別に。驚いただけだし」 「ほんとに?」 「ほんと。だけど、次からはもう少し落ち着いてくれ」 「むり」 即答してから、若菜はようやく少しだけ口元をゆるめた。その笑みはまだ頼りないのに、さっきまでの張りつめた空気を少しだけほどいていた。隼斗はそれを見て、胸の奥が妙に熱くなるのを感じる。 「じゃあ、せめて今は落ち着け。噂に振り回されるなって」 「……うん」 若菜は小さくうなずいた。窓の外では、商店街の明かりがひとつ、またひとつと灯り始めていた。

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